髙木 友ニ

ケアマネジャー兼小説家です

遺伝という宿命

 

生きている人間は誰しも、自分では絶対に抗うことができない宿命と闘いながら生きている

 

その宿命とは、遺伝。

 

 

両親から産まれた時ゆずられたもの。

 

人間は容姿や性格、運動神経等が猿や豚と違い、1人1人全く違っている。

 

人間は与えられた遺伝と闘いながら、毎日を生きていると私は思っている

 

 

人には必ず容姿において、触れてほしくない悩みがある。

 

 

なぜそんなことで悩んでいるのか、と他の人には全くわからない事で、悩んでいる人間は意外と多い

 

 

生まれ持った、顔、身体、性格、運動神経、出身地、名前、血液型・・・

 

 

数え上げたらきりがないが、自分ではどうしようもない、変えることか出来ないもの

 

遺伝(自分ではどうしようもない)で悩む事をいくつか挙げてみる

 

目が一重まぶた、前歯が出ている、アゴがしゃくれている、薄毛、肌の色などの外見的なものから、内気な性格、不器用、病気、血液型などさまざまだ

 

 

逆に、パッチリ二重で、歯並びがよく、背も高くて、陽気な性格な人もいる

 

 

この場合は、あまり悩む人もいないだろう。本当に幸せな人だと思う

 

 

遺伝から来る容姿の悩みは他人では絶対理解できない。例え実の親でも

 

 

急に人から、君の目付き悪いよね。

 

 

そう言われて、どうしても気になって仕方なく、自分の目が嫌いになっている人も多くいるだろう

 

 

そういう親からの遺伝は、子供の頃に悪口となって自分に襲いかかることが多い

 

 

チビ、デブ、ブス、のろま、サル、ゴリラ・・・

 

 

これら見た目の問題は、自分自身で解決することはほぼ不可能。特に若い人間には(学生など)。

 

 

言った人間はそれほど傷ついていると思わない、しかし解決出来ないからこそ、言われた人間は深く傷つく

 

 

子供の頃だけではなく、大人になっても解決できず、苦しんでいる人は多い

 

 

二重まぶたで目がパッチリとし、歯並びがよく、笑顔が素敵で、血液型がO型の男性と、一重まぶたで、出っ歯、はげ、血液型がB型の男性、同じ年齢でどちらと親しくなりたいだろうか?

 

 

そんなの二重まぶたで歯並びがよく、O型の男性と久しくなりたいに決まっている

 

 

人間は、他の動物と違い、外見など人それぞれ。生まれもって既に不公平な生き物なのだ

 

 

「生まれ持ったものだからしょうがねえじゃねえか、悩んだって変わらねえんだから」

 

 

なんていえる人間が私は、心からうらやましく感じる。

 

 

それは親からもらったものが、自分の人生において、あまり足かせにならない人間が言えること。

 

 

つまり、優性遺伝の人間だから言えることなのだ

 

 

学校で必ず習うメンデルの法則。その内容は私には全くわからなかったが

 

 

優性、劣性の法則という言葉はよく覚えている。

 

えんどう豆を丸くするのが優性遺伝、シワを作るのが劣性遺伝

 

 

優性遺伝、劣性遺伝・・・

 

 

嫌な言葉だ。私にとって世の中で一番嫌いな言葉だと胸を張って言える

 

 

なぜなら、今まで45年間生きてきて、私は劣性遺伝の人間だということを、嫌というほど経験してきたからだ

 

 

私は周りの人間から、なぜ他の人が出来るに、お前はできないのか

 

 

何度も何度も言われ続けてきた

 

 

私もその言葉は当然の事と受け止め、なぜできないか悩み、苦しみながら、回りの人間に着いていこうと、必死で生きてきた

 

 

いや、必死で生きてきたというのは、表現が過ぎるかもしれない。それなりにがんばって生きてきた

 

 

しかし40代に差し掛かってみると、急に自分のことを客観的に見れるようになってきた

 

 

自分の能力や限界・・・

 

 

その時、私には、普通の人に比べると圧倒的に劣っているものがあると気づいた

 

 

それは圧倒的な自己肯定感の欠如であった

 

 

10、20代の若者ならまだわかるが、私は40歳を越えても、自分を肯定する能力が備わっていない

 

 

自己肯定感が欠如しながら生きていくというのは本当に苦しいことであり、また40歳を越えても自己肯定感が全くないというのは、はっきり言って絶望の中を生きているような気分になる

 

 

そこには、やはり自分は劣性遺伝の人間だからという、普段は心の奥底に眠り、突然心の中で目を覚まし、私を苦しめる思想が、間違いなくあるからだ

 

 

 

      幼少期、学童期

 

私の名前は、竹沢俊彦。45年前に田舎の町に生まれた。子供の頃の思い出ははっきりいって覚えていることなどほとんどない。

 

ただひとつ覚えていることは、ひどい慢性鼻炎で、鼻呼吸ができず、いつも口をポカンと開けて生活していたことである。

 

父親からは、おい、口を閉じろ。そう言われたが、鼻炎で鼻呼吸が出来ないのに、口を閉じてしまっては、呼吸が出来ず死んでしまう。

 

子供心にそう思い、親の前では口を閉じ、30秒ほど経過してから、トイレにいって、ハァ、ハァと激しく息をした。

 

母親は心配して近所の耳鼻科に連れていってくれたが、田舎町にある、一件だけの耳鼻科が、名医であるわけがなく、治療を受け、薬を飲んでも、私の慢性鼻炎は全くよくなることがなかった。

 

そのためか、私には集中力というものが欠如していた。なにかやろうとしても、最後までやりとげることができない

 

 

本なんて、1ページ読むことが苦痛で仕方なかった。集中しようとすると息苦しくなる

 

 

だから勉強なんて全くできない。なにかしようとしても、詰まった鼻の奥が気になって、人目に隠れて、鼻くそをほじり、見つからな

いように、教室の床に捨てていた

 

 

鼻くそが取れたとしても、鼻づまりが治ることはなく、集中力が続かず、物を深く考えることができない。勉強は全く出来なかった

 

 

人の話を聞くのも苦手で、忘れ物が多く、宿題もほとんどやっていかなかった

 

先生にはよく怒られた覚えがある。その時は反省して頑張ろうと思うが、そのうち忘れてしまう。そして、また怒られるなんて言うパターンを繰り返していた

 

 

そして私は運動神経も全く備わっていなかった。手先が不器用過ぎて、野球やバスケットなどは全くできない。

 

 

足も遅く、サッカーなんて本当に下手だし、全く取り柄のない子供だった

 

 

なのにある日突然、少年野球チームに入らされた

 

スポーツといわれるものが苦手で、野球の試合では、まずレギュラーにはなれない。たまに気を利かせて、コーチが代打などで試合に出してもらうが、絶対三振するのがわかっていたので、バッターボックスに立つのが本当に嫌だった

 

 

どうでもいい時に出してくれるのはいいが、チャンスの時に出され、三振すると、チームから白い目でみられる。

 

自分から出たいと言ったことは一度もないのに・・・

 

 

人間関係を作る事が苦手で、上級生に、なにもしていないのに怒られたり、怒鳴られたり、そして殴られたりした。

 

 

理由は目付きが気に入らない。生意気だ

 

 

確かそんな理由だった。

 

 

私は好きでこんな細い目になったわけではない!!!

 

 

 

大声でその先輩に言いたかったが、そんなことを言う勇気はない

 

 

ただ理不尽な暴言、暴力には黙って耐えるしかなかった

 

 

そんな日々が続き、俊彦は内気な少年になった。この時、何度も鏡を見たことを覚えている。

 

 

自分の顔はどうしてこんなに不細工なんだろう・・・

 

 

違う顔だったら、少し自信が持てたのに・・・

 

 

鏡を見ながら何度も考えていた。

 

 

ナルシストというわけでは全くなく、鏡を見続けていた記憶がある。この顔、この細い眼をどうしたら変えられるのか。毎日考える。

 

 

俊彦は、自分の顔が大嫌いだった。

 

 

そして、性格面でも内向的で、同学年の人間にも、どうやったら仲良くなれるのかわからず、ただ相手の思うことを否定せずついていくような少年だった

 

 

金魚の糞のように

 

 

自分からこうしよう、ああしようというという意見は出来るだけ内に秘めた。

 

 

体育の授業が大嫌いだった。他の授業はただ机に座り、話を聞いていればよかったのに対し、

 

 

「はい、2人1組になってください」

 

 

先生からこの言葉が発せられると、私に背筋に震えがくるほどの恐怖が俊彦を襲った。

 

 

誰も俊彦と組んでくれる人がいなかったのである。毎回同じように一人取り残されるにもかかわらず、体育の先生は、毎回俊彦の存在を無視するかのように、その言葉を繰り返した。

 

 

今考えれば、あまりにもその先生はデリカシーがないと思われるが、小学生の体育の時間で、誰も私と組んでくれないほど、俊彦は、小学校のクラスに適合できていない子供だった

 

 

人とうまく話すことができない。人と上手く付き合うことが出来ない。

 

 

これは俊彦が酷い運動音痴だからという理由も大きかった。周りの子供達と遊んでも、全く楽しくない。鬼ごっこでは必ず鬼役をずっとやらされる事になるし、スポーツをしても、絶対に足を引っ張るので楽しくない。1人でいた方がよほど楽だった。

 

 

引っ込み思案で、人と話せない。慢性鼻炎で集中力がほとんどなく、勉強が全くできない。

 

友達もほとんどいないまま、俊彦は中学校に上がる。

 

 

中学に上がることで、これ以上の遺伝という宿命、残酷さが、恐ろしい程俊彦の身に降り注ぐことになる

 

 

        思春期

 

学童期から思春期にかけて、人はいろいろなことを勉強する。学問はもちろん、人との接し方、そして異性との恋愛

 

 

俊彦も中学になると、小学校の頃の知り合いが、クラスであまりがいなかったから、友達と呼べるような人間が、少しずつ出来始めた。

 

 

慢性鼻炎は中学生になっても治らなかった。

 

 

そのため集中力の欠如は全く治らず、中学になっても勉強もほとんど着いていくことが出来なかった。

 

 

中学に入ったからといって、突然運動神経ががよくなるはずもなく、バレー部に入ったが、全く着いていけず、3ヶ月でやめた。

 

 

本当に長所もないし、根性もない。そんな情けない人間だった。

 

 

しかしやることもないので、個人で出来る卓球部になんとかいれてもらった

 

 

当時の卓球は本当に運動神経が悪く、性格も暗い人間がやるようなスポーツだった

 

 

(今は違うと思いますが・・・)

 

 

その中で、なんとかスポーツに汗を流しながら、一年が経過した頃の事だった。

 

俊彦に対し、周りの人間の態度が、変わっているように感じる事が、多々起きるようになり始めた。

 

 

クラスの中でも同じような変化を感じるようになることが増えた。初めは気のせいかと思ったが、日に日に違うことに気づく。そよそしく、そして避けるような態度をクラスメイト、部活の人間が、俊彦に対し露骨に取るようになってきた。

 

俊彦は嫌われ者にならないように、他人の表情や行動には注意を払っていた。小学生の頃、人に馴染めず、いじめられていた経験もあったからだと思う

 

 

だからクラスメイトなどと接するときは十分注意しているつもりだった。

 

 

しかし、気軽に話してくれる友人も、俊彦と話したがらなくなった。

 

 

俊彦を避けるように徐々に人が、突然周りからいなくなっていった。その理由は当時、全くわからなかった。

 

気のせいというわけではなかった。1日誰とも話さない。そんな日もあった。

 

 

数日間、もやもやとした気持ちで、学校に行っていたある日、自分に対し、よそよそしく周りがなった理由がわかった

 

 

俊彦が、廊下で一人立っていたとき、

 

 

「ねえ、竹沢君、今日も臭くない?」

 

 

「うん、臭い、臭い」

 

 

突然女子2人が、俊彦がいないと思って、目の前で、臭い、臭いと聞こえるように言ったのだ

 

 

その直後、その2人は俊彦の存在を見つけ、やばいという表情をしながら、走っていった

 

 

その2人のやばいという表情は、30年程経過した今でも俊彦の脳裏に焼き付いている

 

 

俺が・・・臭い・・・。

 

 

頭の中が真っ白になった。

 

 

そうか・・・。それで周りの人が、私から遠ざかって行ったのか・・・。

 

 

不幸なことに、俊彦は子供の頃から慢性鼻炎を患っており、鼻呼吸が出来ないため、嗅覚が鈍く、匂いというのは全くわからない

 

 

よく、帰り道カレーの匂いがするなんて友達が言ったりしたが、その感覚ははわからなかった

 

 

そのため、自分からどのような臭いが発せられているのか、全くわからない。

 

 

真っ白な頭の中で、俊彦は脇の下に手を入れ、擦り合わせると、その手を自分の鼻に持っていった

 

 

「うわっ、くっさ!!」

 

 

慢性鼻炎でほとんど臭いがわからないはずの鼻が強烈な異臭をとらえた

 

 

生卵が腐ったような悪臭。いい表現で言うなら、温泉の硫黄のすごい強い臭いが鼻についた

 

 

こんな臭いが自分から発せられていたのか

 

 

全身が凍りついた。

 

 

洗面所に行き、蛇口にあるミカンを包んであった網の中に入っている石鹸を手に取り、何度も手のひらで擦り合わせた。

 

 

泡の状態になると、すぐに脇の下に手を入れ、一生懸命洗った。

 

 

すぐ隣の女の子が、手を洗わないで、脇の下洗ってる・・・

 

 

そんな白い目を気にせず、一心不乱に脇の下を洗い続けた。

 

 

しばらくして、脇の下の臭いを嗅いだ。その時は、腐った卵のような臭いも消え失せ、石鹸のいい匂いが残っていた

 

 

教室に帰ると、私を見たクラスメイトが、全員目をそらした。

 

 

最近モヤモヤしていた原因がわかった瞬間だった。自分が臭かったからだ。

 

 

ただ、私はこれからどうしたらいいのかわからず、教室の椅子に腰掛け、下を向き、授業が終わるのを、目立たないように待つしかなかった。

 

 

授業が終わると、すぐに家に帰った、卓球部に行かなければならなかったが、そんな気分に全くなれなかった。

 

 

家に帰ると、部屋でボーとしていた。

 

 

よくよく考えると、うちの親父はワキガで、時々臭いと思うことがあったが、自分は臭いがわからないので、それほど気にはしなかった

 

 

でも俊彦が臭いと感じるということは、普通の人ではかなりの異臭を感じているはずである。

 

 

実は自分がワキガなのではないかという兆候は、少し前から現れていた。白いシャツの脇の部分が、少しだけ黄色く変色していたのに気づいた

 

 

ただ、臭いがしないため、(自分でわからなかっただけなのだが)自分はワキガではないと微かな望みを抱いていた

 

 

しかし、その微かな望みは今日粉砕された。

 

 

すごい臭いを発しているのに、自分は鼻が悪く、それが気づかないのが、恐怖を倍増させた。

 

 

人並みに嗅覚があれば、自分の臭いに気づくことが出来るかもしれない。

 

 

しかし、子供の頃から慢性鼻炎だった私の嗅覚は壊死しているといってもいいほど臭いがわからなかった

 

 

明日学校に行くのが怖かった。

 

 

テレビを付けると、ファブリーズだのビオレだの臭いを消すCMが何度も流れる。

 

白人のおばさんが美人の脇の臭いを嗅ぎ

 

グッド!!

 

と言っているCMが流れた。

 

 

もし、私の脇の臭いを嗅いだら、あの白人おばさんは

 

 

オーマイガー!!!

 

 

そう叫び、卒倒するだろう。

 

そのくらい俊彦の臭いは強烈だった。

 

 

現在の日本において、体臭が酷い人間は、周りの人間に嫌われる。確実に。

 

 

毎日お風呂に入り、身体をしっかり洗っていた。なのにこんな体臭がするとは・・・

 

 

寝る前にお風呂に入り、石鹸を山ほどつけ脇の下を徹底的に洗った。

 

 

学校に行きたくない・・・

 

 

お風呂から上がり、布団に潜り込んだが、いつまでたっても明日に対する不安が襲ってきて、眠ることが出来なかった。

 

 

次の日、鉛のような身体をなんとか起こして学校に向かった

 

 

教室につくと、いつもと雰囲気が変わっていることに気づく。クラスメイトが、私に視線をわざと外しているような、そんな気がする

 

 

ため息をつきながら自分の席に座った。

 

 

しかし、その瞬間違和感に気付いた。昨日、机の中を整理して帰ったはずなのに、机の中が乱雑になっている

 

 

不思議に思い、引き出しからノートを取り出した。

 

そのノートの惨状をみて、俊彦は声を失った。

 

 

臭いんだよ

 

学校来んじゃねえ

 

風呂は入れよ

 

生ゴミみたいな臭い、なんとかしろ

 

 

私のノートに汚い字で、数ページに渡り、俊彦への誹謗中傷が書いてあった。

 

 

俊彦はノートに視線を向けているが、何人かの人間が私を見て、ニヤニヤしているのを感じる

 

全身から血の気が引くのがわかる。このノートは先日買ったばかり。なんでこんなことをするんだ?

 

 

俊彦は顔を上げた

 

 

するとクラス全員が視線をそらした

 

 

俊彦は信じられない現実を飲み込むことが出来ないまま、座ったまま担任の先生が来るのを待った

 

 

その日は、時間が経過するのがとにかく遅かった。

 

そして、授業の間の休み時間になると、水道の前に立ち、石鹸を手に取ると、ごしごしと泡を立て、脇の下を洗った

 

 

自分の嗅覚は全く信用できない。

 

 

もはや自分は臭いんだという強迫観念にとらわれていた。

 

 

周りの目はその時、ほとんど気にならなかった。水道で、必死に脇の下を洗っていて、他に生徒がいたというのに。

 

 

長い、長い学校の時間が終わった。今日、俊彦に話しかけてくれる人間は全くいなかった。

 

 

これからどうしたらいいんだ・・・。

 

 

下を向きながら、家へと続く道を重い足取りで歩いていると

 

 

「おい!!」

 

 

後ろから声がかけられた

 

 

驚いて振り向くと、知らない男子学生が5人ほど立って私を見ていた

 

 

「なんの用ですか?」

 

 

なぜ声をかけられたかわからない。その人達に語りかけた。

 

 

「なんの用ですかじゃねえよ、お前風呂入ってんのか?くせーんだよ」

 

 

男達にいきなり言われ、動揺していると

 

 

「ちょっとこっちこい!!」

 

 

そう言って俊彦を、人気のないところに連れ込んでいった。多分この状態を見た人が何人かいたはずだが、声を出したり、助けてくれる人は誰もいなかった。

 

 

俊彦も突然の事で、声を上げることができず、ついていくしかなかった。

 

 

「何ですか、僕はあなた達に気に障ることは全くしていないと思いますが」

 

 

なんとか勇気を振り絞り、相手に向かってそういうと、一人の男が思い切り俊彦の足を蹴ってきた。

 

 

「くせえんだよ!お前は。それだけでも迷惑なんだ」

 

 

体格からすると、上級生のようだ。ただ、会ったことも話したこともない

 

 

「初対面ですよね、あなた達に迷惑をかけた覚えはない」

 

 

「頼まれたんだよ。お前があまりにも臭いから、学校に来ないように出来ないかってな」

 

 

「それは誰ですか」

 

 

「そんなこと言うわけねえだろ」

 

 

そう言われた瞬間、俊彦の頬に激痛が走り、勢いで後ろにひっくり返った。殴られたのだ。

 

 

「もう明日から学校に来るんじゃねえぞ」

 

 

そう捨てゼリフを残し、男達は去っていった。

 

 

俊彦はその声が、静かになるまで、ずっと倒れたままの姿をしていた。

 

 

しばらくして立ち上がり、ベンチに腰掛けた。口からは血が流れている。しばらく呆然としていた。

 

身体中の痛みから、先程あったことが現実というのはわかる。

 

 

しかし頭の中がそれを受け付けない。一種の錯乱状態になっていた。

 

 

なぜ殴られないといけないのか

俺は殴られるほど悪いことをしたのか

あいつらに俺を殴れと言った奴は誰なのか

それほど俺は臭いのか

 

 

ゆっくり立ち上がり、倒れた時に服についた砂を、パン、パンと払った。その時不意に両眼から涙が出てきた。

 

 

痛かったからではない、今の状態を客観的に見た時、情けなくて、悔しくて仕方がなかった。

 

 

今日の出来事が走馬灯のように頭の中を駆け巡った

 

 

教室に入った時のクラス全員から注がれる白い視線。落書きだらけのノート。突然呼び止められ、知らない人間から暴力を振るわれる。

 

 

ゆっくりと家に向かって歩き始めた。

 

 

たった一人歩く自分がみじめだった。

 

 

頭の中は錯乱状態が続いていたが、なぜか親に今の状態を伝えよう、担任の先生に相談しようという発想はなかった。

 

 

格好悪い。

 

 

ブライドとは違う、他の人に自分がいじめにあっている事を知られたくないという考えが、頭の中を占めた。

 

 

実際のところクラスメイトのほとんどが、いじめにあっている事を知っているということは、わかっている。

 

 

でも知られたくない。言葉では説明できない奇妙な考え。

 

 

親に言ったところで問題は解決しない。担任に言ったら、いじめがこれ以上ひどくなる。そして、誰も助けてはくれない。

 

 

なぜなのか・・・。

 

 

俺は人に嫌われたくない、そして人を傷つける事もしたくない。そう考えて生きてきたのに。

 

 

なぜ嫌われなければならないのか。

 

 

家に入る時は、静かに音を立てないようにしながら、玄関を開けて素早く自分の部屋に入った。

 

 

いじめ、カッコ悪い

 

 

かなり昔、有名なサッカー選手がいっていたが、今の自分には、いじめられる方がカッコ悪い。そんな風に言っているように感じてしまう。

 

 

 

 

そんなはずはない!!。会ったこともない人間に対し、俺は一人なのに大勢で暴力を振るう方が余程格好悪いはずだ!!

 

 

大声で叫びたくなった。

 

 

しかし、運動神経悪い、顔もカッコ悪い、そして体臭がひどい。そんな自分も悪いのではないか

 

 

そんな自分の存在を全否定するような考え方の方が、今はどうしても自分の心の中を支配してしまう。

 

 

暴力を振るわれたことより、人を不快にする自分の方が悪い。

 

 

いじめる人間より、いじめられる人間の方が悪い。

 

 

その考え方が心を縛り付け、俊彦は叫ぶのをやめた。

 

 

(※ここがいじめの一番怖いところ。いじめは集団で一人の人間を攻撃する。その時いじめられている人間は、自分が悪いからいじめられていると思ってしまう

 

はい、よく聞いて!!ここ大切、テストに出ますよ!!!

 

孤独だし、今まで友達だと思っていた人が離れていってしまう。これは本当につらい

 

 

でもいじめられている人間は悪くない。

 

 

これからいうことはもっと重要、テストに出ます。確実に!!!!!

 

 

人間は、いじめられる、人に嫌われるのを極端に恐れる。それでは自分が嫌われないようにするにはどうしたらいいのか?

 

 

その答えは簡単。自分より弱い立場の人間を、嫌われものにし、いじめられる人間に仕立て上げ、自分の立場を守ること

 

 

この答え、センター試験にも出るからしっかり暗記すること

 

 

自分をいじめから守るためには、他の人間を犠牲にするしかない

 

 

いじめられる人間は、そんな他人をおとしめることしか出来ない弱虫の罠にはまっている。

 

 

つまり答えは、いじめられる人間は、卑怯な人間の罠にはまっているだけで、いじめられている人間はは何一つ悪くない!!

 

弱虫の罠にはまっているだけなのに、苦しんだり、最悪大切な命を絶とうなんて本当にもったいないよ。

 

 

例え、自分に自信がなくても、他の人も同じ。自分に自信がない人ばかり。いじめに会う人はカッコ悪くない。いじめをする人間が本当に小心者でカッコ悪く、ダサい。

 

 

君は、小心者の罠にはまっている。その事に早く気付こう!!)

 

ということで、話を続けます。

 

 

俊彦は自分の部屋のベッドに座り、ただ呆然としていた。

 

その時になっても、今日起こったことを親や担任に言おうとは思わなかった。

 

 

言って解決できるはずはないし、騒ぎが大きくなるのが怖かった

 

 

怖いし、他の人に知られたくない。なぜか、いじめられていることが俊彦の中で恥ずかしく感じた。

 

 

なにもやる気が起きなかった。なにかやろうとすると、涙が出てきそうでベッドに横になった

 

 

天井を見ながら、暴力を振るってきた人間が言ったことを思い出した。

 

 

「頼まれたんだよ。おめえがあまりにもくせえから、学校に来ないような出来ねえかってな」

 

こんなことを上級生に頼む奴は誰なんだ。全く心当たりがない。

 

 

自分で言ってくればいいじゃないか。俺なんて運動神経も悪い、身体はやせ形で力なんてない。喧嘩になっても、絶対俺は勝てないのに。

 

心当たりがないという恐ろしさ、そして頼んだ奴の卑怯さ・・・。

 

 

俊彦は、不気味さと腹立たしさで頭をかきむしった。

 

 

なんも考えられないし、なにも考えたくない。時間だけがゆっくりと進んでいく。

 

 

夕御飯の時間になった。ゆっくりベッドから身体を起こし、食卓についた。いつもと変わった雰囲気を出さないように気をつけながら、ご飯を口に運ぶ。

 

 

本当は食欲など一切なかった。でも食べないと親に余計な心配をかけることになる。

 

 

殴られた時に口の中を切ったためか、食べ物を口に入れる度に痛みが走る。しかし、それを周りに気付かせないために、表情には出さない。

 

 

両親とも特に俊彦について気付く事はなかったようで、特に指摘されることがなく、夕食を食べ終えた。

 

 

「ごちそうさま」

 

 

箸を置いて席を立ち、自分の部屋に入って行った。

 

 

その後すぐにお風呂に入った。殴られて転んだためか、膝や肘に擦り傷ができていて、湯船に入ると滲みて痛い。

 

 

毎日風呂に入っているんだけど、なぜ臭いんだろう。

 

 

湯船から出ると、脇の下を入念に何度も洗った。いつもは1回洗う程度だが、皮がむけるくらいの強さで俊彦は洗い続けた。

 

 

風呂から上がると、ベッドに横になった。お風呂に入る前まではほとんど気にならなかったが、殴られた頬、肘や膝の傷が痛みだした。

 

しかし、傷の手当てをする気が起きない。

 

 

明日学校に行きたくない。

 

 

心の中はその思いが支配していた。傷の痛みより。

 

 

でも明日学校に行かなくてはならない。親に変な心配をかけたくない。

 

 

苦しみながら、眠れぬ夜を過ごした。

 

 

次の日、太陽の光が部屋の中に差し込んで来ても、俊彦は眠ることが出来なかった。

 

 

起きる時間になり、ゆっくり身体を起こした。

 

 

胃が鉛のように重く、吐き気がする。そんな状態でも学校に行かなければならない。

 

 

腕を脇の下に入れ、少し擦った後その手を自分の鼻に持っていく

 

 

微かに臭う・・・

 

自分の嗅覚はほとんどあてにならないが、臭いがするような気がして、すぐに洗面所に行き、脇の下を洗った。

 

 

洗いながら、不安で押し潰されそうになる。今洗ったからといって、学校に着く頃にはまた臭い始めるのではないか・・・

 

自分は臭いという強迫観念が、俊彦を押し潰す。

 

 

朝ごはんを食べ、歯を磨くと制服に着替えた。砂の汚れがないか確認し家を出た。

 

このまま学校に行かずに、どこかに行ってしまいたい。そんな誘惑に駆られるが、いつもの道を進んでいく。

 

 

学校が見えた途端、吐き気が襲ってきたが、なんとか耐え、クラスの前に立った。

 

 

ゆっくりと扉を開けて、教室に入る。すると、ざわざわしていた教室の中が、しんと静まり返った。

 

俊彦は自分の席に座り考えた。この中に、昨日上級生に俺を殴れと頼んだ奴がいる。

 

 

その卑怯者は誰なんだ!!

 

 

そいつを探しだしたい。心の中では思うが、行動に移す勇気が出てこない。見つけようにも証拠がない。

 

そして、この中で俊彦の味方になってくれる人間は誰もいない。騒ぎを起こせば、もっと嫌われてしまう。

 

悔しいが、歯を食いしばり耐えるしかなかった。

 

授業が始まっても、自分が臭くないか、この事が気になって集中できない。嗅覚が鈍いという点も不安に拍車をかける。

 

ひそひそ話が気になる。自分の悪口を言っていそうな思いに駆られる。

 

 

体育の授業は以前から苦痛でしかなかったが、今日は苦痛の上、汗をかいてまた臭くなるのではないかという心配に押し潰されそうになる。

 

 

体育の授業が終わった途端、すぐに水道に行き、石鹸をつけて脇の下を洗う。臭いとか臭くないとかもはもはや関係ない。不安と強迫観念から逃げたい一心だった。

 

 

 

少し前までは、こんなことはなかった。クラスメイトともうまくやっていたし、別に学校に行くことが嫌ではなかった。

 

 

しかし、今はうまくやるどころか、誰も俊彦に話しかけてすらくれない。目が合うだけで、嫌な顔をされるようになった。

 

 

朝は学校に行きたくなくて、吐き気をもようしていたが、今は学校にいるのが嫌で、吐きたくなる気持ちになる。

 

 

1日が終わると、すぐに家に帰った。今日、俊彦に話し掛けた人間は誰一人いなかった。

 

 

その後も辛い毎日が続いた。

 

 

家でも学校でも、自分の臭いに細心の注意を払い、以前のようなワキガ臭がしないように努めた。

 

だから、変な臭いはしないはずだった。しかし、以前のようにクラスメイトから話し掛けられることはほとんどなかった。

 

まるで幽霊のように、誰も話し掛けてくれない日々が続いた。

 

そんな状態でも、担任や他の教師、そして親には今の状態を相談することはしなかった。

 

 

先生に言ったとしても、この状態が改善される保証はなく、逆に状態が悪くなってしまう可能性の方が高い

 

親に言っても同じこと。

 

俊彦の頭の中は、このような状態になってしまったのは、自分が悪いからだという考え方が占めていた。

 

改善されるかもしれないという希望も、もはやほとんどなくなっていた。

 

 

なんでこんな状態なのに、学校に行かなければならないのだろう。

 

もう学校に行かず、休み続けることご出来たら、どれ程救われるのだろうか。

 

しかし、休まず通い続けた。

 

クラスメイトにとって、自分はどのような存在なのだろうか。気色悪い、目障り、居てほしくない。そんな存在なのだろう。

 

こんな日々が本当に意味があるのか。

ここにいる意味があるのか。

私がいなくなった方が、クラスメイトは喜ぶのではないのか。

 

そんな思いが、頭の中を駆け巡るようになってきた。

 

 

そんな日々を過ごしていたある日の帰り道

 

「おい、待てよ」

 

後ろから声をかけられた。俊彦の背筋が凍りつく。以前聞いた声だ。頼まれたからという理由で、俊彦に理不尽な暴力を振るってきた、ろくでなしの声だとすぐにわかった。

 

しかも前回と同じ場所。周りには同じ道を帰る生徒が何人かいた。ここはすぐに人目のつかない空き地に連れていくことができる。

 

後ろを振り向くと、以前と同じく体格のいい5人の男が立っていた。

 

以前は戸惑いで顔もしっかり把握できなかったが、今回は冷静で、よく顔を観察できる。5人全員頭の悪そうな顔をしていた。

 

「何ですか、また頼まれて、私を殴りに来たんですか?」

 

声をかけてきた男は、俊彦と同じクラスの女子と付き合っていた。かわいい顔をしているが、性格は悪く、頭も悪い。俊彦と同じくらいの成績だ。

 

あるきっかけで、その女がこの男と付き合っていると耳に入った。

 

こいつらに告げ口をしたのはこの女だと思ったとき、文句の一つでも言いたい気持ちになったが、証拠がない。その時は諦めるしかなかった。

 

「うるせえよ。いいからこっちへこい」

 

一人が俊彦の服をつかみ、無理やり空き地に連れ込もうとした瞬間、俊彦はその手を思い切り振り払った。

 

「なんですか、また俺に暴力を振るうんですか。こんなみんなに嫌われて、たった一人。力も仲間もいない人間に対し、5人がかりで!!!」

 

周りに何人か人がいる中、俊彦は大声で叫んだ。周りの人間が、びっくりしてこちらを見る。

 

「恥ずかしくないんですか、人として。私があなた達の立場だったら恥ずかしくて外も歩けない。自分より弱いとわかりきっている人間を傷つけて喜んでいる。もはや人間のクズだと言っても過言じゃない!!」

 

 

「なんだと、てめえ!!」

 

5人の表情が怒りに変わった。いつもなら奴隷のように服従する俊彦だったが、その時、なぜかわからないが、イライラしながら歩いており、そのイライラが爆発した。

 

なんで俺がこんな思いをしなければならないのか、なんで誰も助けてくれないんだ。

 

最近そんなイライラ感じていたし、もう失うものはなにもない。とことんまで落ちてみよう。そんな諦めの感情が合わさり、自分でも信じられないような大声と、暴言が口の中から吐き出された。

 

「この野郎、ふざけんな!!」

 

そう言った直後、俊彦の身体は後ろに倒れた。殴られたのだ。

 

 

「キャー!!」

 

後ろを歩いていた女の子の悲鳴が轟いた。

 

俊彦はゆっくりと立ち上がった。

 

「いいか、あんた達と違って、俺にはプライドがある。それは絶対に人を傷つけない事だ。どれ程自分が傷ついたとしても。そしてどれほどみじめだったとしても。それが俺の誇りだ。お前らみたいな人を傷つけて楽しむようなクズを見ると、吐き気がするんだよ!!!」

 

そう言った直後、俊彦は立ち上がった時に拾った、落ちていた石ころを思い切り相手に投げつけ、殴られた相手を逆に殴り付けた

 

しかし、その直後、あっという間に相手に囲まれ、周りからボコボコに殴られた。

 

すぐに倒され、今度は足で踏みつけられる。

 

激痛に耐えながら、落ちている石を掴むと、相手に向かって投げつけた。

 

その場は騒然となった。

 

周りに石ころもなくなり、蹴られ続け、もうダメだと覚悟した時、車に乗っていた大人達が次々と車を止めて、俊彦に暴力を振るう人間を押さえつけた。

 

体格のいい中学生とはいえ、大人の力には勝てず、次々に抑えられていき、その場は治まった。

 

すぐに学校にも連絡がいったらしく、先生が何人も慌てて走ってくるのが見えた。

 

俊彦は身体中の痛みに耐えながら立ち上がった。大人達に抑えられている5人を見ると、投げた石がちょうど顔に当たったらしく、血を流している人間もいた。

 

「ふざけんなよ、てめえ。覚えとけ。次はマジで殺してやる」

 

大人に抑えられながら、俊彦に殴られた男は言った。

 

「もう一度言うが、俺はお前らみたいな小者の上、クズ人間が大嫌いだ。お前の顔も性格も悪くて、ブサイクな彼女にもそう言っとけ!!」

 

 

喧嘩でボコボコにされ、着ている服はボロボロ。誰が見ても負けているのに、それでも相手に対し、高圧的な言葉を俊彦は投げつけた。異様な空気が辺りを覆う

 

その後すぐに、教師に全員押さえつけられ、学校に連れ戻された。

 

その後、学校で事情聴取を担任から受けた。担任は状況から俊彦は悪くないと判断した様子で、

 

「なぜこのようなことになったか正直に言ってみろ、力になるから」

 

そう優しく言ってくれたが、俊彦は真相を話そうとはしなかった。ただ突然、生意気だと絡まれ、喧嘩になった。そう答え続けた。

 

 

俊彦は本当の事を言いたかった。

 

自分はワキガで、一時期不快な臭いを漂わせたことがきっかけで、クラスメイトからほとんど無視されている。

 

新しく買ったノートには誰が書いたかわからない、私の悪口で埋め尽くされている。

 

今回喧嘩した相手は、以前にも私に対し暴力を振るったことがある。

 

これらの言葉が喉のすぐ近くまで出てきているが、言葉として出てこない。

 

ここで本当の事を言っても、騒ぎが大きくなるだけで、何の解決にもならない。

 

ワキガで臭い自分が悪い

 

その思いが事実を担任に伝えることを拒否していた。

 

結局、最後まで本当の事を話すことはなかった。保健室に連れていかれ、傷の手当てをしてもらった。

 

何ヵ所か殴られたため、顔は腫れていて、膝にも擦り傷があった。

 

しかし、前回とは違う。前回は殴られただけだったが、今回は相手に反抗した。

 

身体の痛みは前回よりひどいが、なぜかすっきりとした気分が俊彦を包んでいた。不思議な気持ちだった。

 

親が迎えに来て、学校を後にしたのは、午後7時を越えていた。

 

 

家に帰ると、ご飯が用意されていた。家に着くのが遅くなっているため、もう冷たくなっている。

 

両親も心配で食べていなかったため、まず母親はご飯を電子レンジにいれて温め始めた。

 

「全然帰ってこなかったから心配したぞ」

 

前に座った父親が、俊彦に語りかけた。その言葉に俊彦は無言を貫いた。

 

「なんで喧嘩なんてしたんだ?最近お前が元気がない様子でいたから、お母さんと一緒に心配していたんだ。」

 

 

自分に元気がないことに両親は気付いていたのか。俊彦は両親に心配をかけたくないといつもと同じように家では生活を送っていたはずだったのに。

 

「しかも上級生5人相手に喧嘩なんてして、いったい何があったの。正直に話してちょうだい」

 

母親がレンジで温め直したご飯を、食卓に並べながら言った。

 

「ご飯を食べながらでいい、何が起こったか話してくれ」

 

父親に言われ、俊彦は観念した。今まで起こったことを、両親に話そう。少し心の中にある鉛のような物が軽くな感じがした。

 

「実は、最近学校に行っても誰とも話していない。みんなに無視されているんだ毎日が本当に辛いんだよ」

 

下を向きながら、ゆっくりと話し始めた。

 

「春までは、何とか周りの人間ともうまくやっていたんだ。でもある日を境に、多分6月の終わりくらいだったかな・・・。急に俺のクラスメイトがところを避けるようになって・・・」

 

 

そこから言葉がつまって出てこなくなった。そして、涙が溢れだしてきた。

 

なんで言葉が出てこないんだ・・・。自分の苦しい胸の内を、人に話すことがこんなに難しいことだったなんて。

 

しばらく沈黙が続いた。すると父親が口を開いた。

 

「そういうふうになってしまった心当たりはあるのか?」

 

俊彦は、涙を流しながら、本当に心の中の苦悩を伝える決心をした。

 

「ワキガだからだよ。俺が臭いからみんな遠ざかって行ってしまった。今でも自分が臭くないのか、本当に心配で、本当に毎日が苦しいんだよ」

 

 

それを聞いた両親は絶句していた。意外に思えたが、そんなこと全く考えていなかったようだ。

 

自分にはどうしようもない遺伝という宿命。

 

俊彦は別になにも悪いことはしていない。人を傷つけることを言ったりすることはなかった。なのにワキガで臭いという、どうしようもない理由で、理不尽にもいじめのターゲットになってしまっていた。

 

「考えすぎじゃないのか?」

 

父親が口を開いた。

 

「えっ?」

 

俊彦は耳を疑った。

 

「実は父さんもワキガなんだ。俊彦はわからなかったかも知れないけど」

 

「父さんがワキガだって知ってるよ。変な臭いがしているときもあるし、シャツの脇の下は黄色いシミができているじゃないか」

 

父親がワキガでなければ、自分に遺伝することはない。ワキガは遺伝病だ。そんなことはとっくに調べてわかっている。

 

 

「父さんの時代は、男なんて臭くて当たり前だったんだよ。男はみんな汗臭かった」

 

平気な顔でそんなことを言う父親に、俊彦は心の底から幻滅した。

 

「父さんの時代と今の時代を一緒に考えられちゃ困る。テレビCMは、人が臭いのは完全に悪。消臭剤をつけろと何回も流れているじゃないか。風呂に入ってなくて、臭いのは悪いとは思うけど、俺みたいにどんだけ気をつけても臭いを発する人間も、同じくバイ菌扱い。それが今の日本なんだよ!!」

 

 

今の日本、本当にワキガなどで体臭がきつい人間は生きづらい世の中になっている。テレビCMで、臭い人間を貶めるような内容のものは必ず1日1回は目にする。体臭のきつい人間は、そのCMのお陰で辛い思いを以前よりするようになっている。

 

「なんで俺がこんな目に会わなきゃいけないんだよ。こんな体質遺伝させてくれていい迷惑なんだよ!!」

 

「なんだと!!親に向かって言う言葉か!!」

 

俊彦もこんなことを父親に言いたくなかった。しかし、父親の他人事みたいな態度に、つい、いつも思っていたことが、口から出てしまった。

 

 

「もう放っておいてくれ」

 

 

俊彦はそう言うと、食卓にあった夕ごはんに手をつけず、立ち上がり、自分の部屋に入っていった。

 

両親とも、俊彦の部屋にはその日入ってこなかった。

 

俊彦は、自分が本当に悩んでいることは、他人には絶対わからない。例え親であっても。

 

相談しても、相手にとってはどこまで行っても他人事。

 

心の底から思った。

 

 

次の日の朝、起きると身体中に激痛が走った。上級生5人に、ボコボコにされたわけだから、当たり前のことではある。必死に起きて、洗面台の鏡に映った自分を見て、息を飲んだ。

 

右眼、唇が腫れ上がっている。他にもあちこちに青あざができていて、とても人に会えるような顔ではない。

 

学校を休もう。そう思ったが、昨日両親と喧嘩もしたし、家にも居づらい。

 

もうどうなってもいいや・・・

 

家に居るより、学校に行った方がいい。半ば諦めの気持ちで学校の準備をして、家を出た。

 

出来るだけ人に見られないように、下を向いて歩く。こんな状態なのに、行かなければならない学校って何なのか。

 

教室に着くと、クラスメイトが全員俊彦の顔を見た。いつもは目も合わせてくれないのに。

 

不思議な感覚で、席に座った。

 

 

「おい、どうしたんだよその顔」

 

 

隣に座っていた由井という男のクラスメイトが突然話し掛けてきた。俊彦は突然の事に驚いた。

 

由井は、以前は時々話す関係だったが、最近は全く俊彦の事を全く無視していた。

 

「ちょっと喧嘩してな」

 

「誰と?」

 

「上級生でいつも5人でつるんでるアホいるだろ。あいつらと」

 

「マジかよ、1人でか?」

 

「そうだよ、俺と一緒に喧嘩してくれる人間がいると思うか?」

 

由井は驚いた顔をして、静まり返った。その会話を聞いていたのか、クラス全員が俊彦の顔を見る

 

その視線の中に、あの女の視線があることも気付いた。その女の名前は、春日といい、かわいい顔立ちのため、スクールカーストでは一番上の存在

 

 

俊彦は、その女に向かって思い切りにらみ返した。春日の視線がそれるのがわかった。

 

 

俊彦と違い、春日は顔がいいため、クラスでも中心的存在だ。そして、性格も悪いため、この女の言うことに逆らう人間はいない。

 

まさに俊彦と全く逆の存在。

 

相手が視線をそらした瞬間、俊彦はゆっくりと立ち上がり、そして春日の方にゆっくりと歩きだした。

 

 

周りの人間はどうしたのかと、俊彦を全員凝視した。

 

 

そして春日の前に立った

 

「おい、あまりにも卑怯なんじゃないのか?お前のやっていることは」

 

急に話し掛けられた春日は驚いて

 

「何の事?」

 

狼狽しながら答えた。

 

「わかってるんだよ、全部。お前の脳みそ足りない彼氏に、俺に喧嘩をするように仕組んだだろう」

 

周りの雰囲気が凍りついた。俊彦のあまりの剣幕に、春日の友達も怯えている。

 

「そんなことするわけないじゃない」

 

「お前みたいな性格も悪く、馬鹿な人間以外、誰がこんなことをするんだ。」

 

「何ですって!!」

 

「こちらには証拠も揃ってる。お前が指示を出したという証拠がな!!」

 

そんな証拠はひとつもない。状況証拠の積み上げでしかない。しかし、あまりに俊彦が自信に満ちた表情で言ったため、相手は黙り込んだ、

 

 

「いいか、よく聞け、少しぐらい他の人間より優位な立場にあるからって、その立場を利用して弱いものいじめをする人間は、俺はクズ人間だと思っている。いや、実際お前は人間のクズ、カスだ!。その程度の人間のくせに、これ以上調子にのって勘違いするな!!」

 

そう言った後、俊彦はゆっくりと来た道を進み、席に座った。

 

クラスメイトは誰も話さず、どうしたらいいのかと困惑の表情を浮かべていた。

 

 

俊彦は、もう終わった・・・

 

心の底から思った。今までひどい状態の中、なんとか通ってきた。しかしこんなことを起こしてしまったら、今以上のひどい生活が待っている。

 

かっとなると、自分でも制御が効かなくなる人間なんだ・・・。

 

今までほとんど怒ったことなどない俊彦にとって、昨日からの自分の行動は、意外としか言いようがない。

 

起こしてしまったことが、あまりにも自分の性格とかけはなれているため、俊彦自身も驚いていた。

 

起こしてしまったことはどうしようもない。今までの苦しみに満ちた生活より、少しでも状況後よくなってくれることを祈った。

 

 

 

しかし、その後不思議なことが次々起こった。由井をはじめとした何人かのクラスメイトが、俊彦に話しかけてくれたのである。

 

 

「由井、俺なんかと話して大丈夫なのか?クラスの嫌われ者の1人になっちまうぞ」

 

「いや、俺もあいつらの態度には疑問が多かった。お前以外にも、気に入らないって意味わからん理由でハブられていた女の子もいたしな」

 

「そうなのか、知らなかった」

 

「ただ、このクラスを支配していたのはあの女達だった。春日はヤンキーの彼氏がいたし、誰も文句を言えなかった」

 

 

しばらく、沈黙が続いた

 

「お前はすげえよ。たった1人で、立ち向かった上、自分の言うことをしっかり言える。俺じゃあできねえ。情けないけどな」

 

「頭にきてたからな、相手が卑怯すぎて」

 

「もう、学校じゃあ噂になってる。お前を襲おうとしたヤンキー5人組、今日から一週間の停学だってよ」

 

「そうなのか。俺には何の罰もないけどな」

 

「これから気をつけろよ。みんなの前であんな屈辱を与えられた春日が、黙っているわけもないし、あのヤンキーどもだって、黙っていないだろう」

 

「そうだな・・・」

 

俊彦が暗い顔をすると

 

「だだ、お前のやったことは間違いではない。ちょっと言葉が過ぎた気がするが、見ているこっちもすっきりした。俺以外にも、お前を見直した人間もいる」

 

由井が優しく話しかけた。

 

「ありがとう」

 

俊彦は少し笑顔で言った。

 

 

その日は意外にも平穏に終わった。由井以外にも何人か俊彦に話しかけてくれたし、逆に春日達は特に俊彦に関わらず時間が流れた。

 

授業が終わると、俊彦は1人家に帰ったが、変な人間に声をかけられることもなかった。

 

 

そして家の前に立った。昨日の出来事を思い出す。家に帰りたくない。

 

心の中に鉛が入っていような状態で、玄関のドアを開けた

 

「お帰り」

 

帰ってきた俊彦を母は笑顔で迎えた。後ろには父親の姿もある。

 

 

「昨日は悪かった。父さん、急に言われたからなんて話したらいいかわからなくて」

 

「いや、いいよ。俺も酷いこと言って悪かった」

 

意外だった。父親から頭を下げてくるとは想像もしていなかった。

 

「父さん、今日仕事休みとってな、いろいろ買ってきたんだ」

 

机の上に何かがたくさん入ったビニール袋が置いてあった。俊彦が中身を見てみると。

 

 

ファブリーズ、リセッシュ、agデオドラント、ギャッツビー等の消臭スプレーがぎっしり入っていた。

 

どれもCMを見るとへこむ商品だった。

 

「わからないから、店にあるもので、それっぽいものをみんな買ってきた」

 

「あ、ありがとう」

 

ビニール袋に入った消臭剤を部屋の中に持っていった。

 

CMでは、見たくもない物だったが、父親が選んで買ってきてくれたと思うと嬉しかった。

 

 

その中で、一番体臭にうるさいCMのファブリーズを取り出す。

 

こいつのお陰で、どれほど辛い思いをしてきたか。一時期、このCMを作った奴に殺意を覚えたことを思い出す。

 

俊彦は自分の脇の下の臭いをチェックした。鈍い嗅覚が、不快な臭いをとらえる

 

「くっさー」

 

学校では定期的に、脇の下を石鹸で洗っているのに・・・

 

暑い日は、学校から家まで帰る時の汗で、短時間でも脇から臭いが発生される。

 

俺はワキガの中でも重症の部類に入るようだ

 

上半身の服をぬぎ、ファブリーズを脇の下に吹き掛けた。ファブリーズのいい匂いが、部屋の中を包み込む。

 

脇の下の臭いをチェックする。あの不快な臭いは消えていた。

 

もっと早く買っておけばよかった。

 

俊彦は久しぶりに勉強机に座り、宿題を始めた。昨日より心の中にあった鉛が、少し軽くなったような気がしたからだった。

 

最近勉強どころではないほど落ち込んでいたため、以前より勉強について行けなくなっている。

 

本当にいじめられ、無視される生活を送っていた時は、勉強なんてやる気もおきなかった。

 

辛い毎日が頭の中を覆いつくし、考えることといったら、明日学校行きたくない。それだけだった。

 

しかし、今日何人かの人間が私に声をかけてくれた。ひどい目に遭ったが、その事で少し希望が見えてきたような気がする。

 

 

数日が経過した。学校では、由井以外も俊彦に話しかけてくれる人が、徐々に増え始めた。

 

ただ心配なこともあった。父親が買ってきてくれたデオドラントスプレーのほとんどが効かない。

 

ワキガとスプレーの臭いが混ざりあい、以前より独特な臭いを発生させる時が時々みられた。

 

やはり、石鹸で脇の下を洗うのが一番臭いを抑えられる。日進月歩の科学の力でも、俊彦のワキガに勝てる商品は、まだ現れていないようだ。

 

俊彦は、休み時間になると、誰もいない水道に行き、脇の下を洗う生活を続けるしかなかった。

 

自分の嗅覚が信じられないから、自分が臭いことがわからない。

 

せっかく、クラスメイトの中で仲良くなれそうな人ができ始めてきたのに、また異臭を放っては、その人が離れていってしまうかもしれない。

 

そんな不安を日々抱えながらの生活は辛かった。

 

先日、母親からワキガの手術について聞いた。頼んでもいないのだが、母親が近所の皮膚科の先生に聞いたらしい。

 

 

方法としては、脇の下に2本の線を入れ、その中から匂いの元となるアポクリ汗腺というものを取り除く必要があり、結構大変な手術だそうだ。

 

必ず手術の後が残り、再発する可能性もあるという。

 

再発する可能性・・・。

 

それを聞くと、あまり手術をしようとは思わない。

 

ずっと付き合っていかなければならない、先天性の病気なのか・・・

 

 

世の中には本当に苦しく、命の危険がある遺伝病に苦しんでいる人も多い。

 

 

だから五体満足で産んでくれたことを感謝しなければならない。

 

例え俊彦のように顔がブサイクで、運動神経も悪く、ワキガの人間であっても。

 

でも他の人間も、遺伝という宿命から逃れられず、必死で生きている人間はたくさんいる・・・。

 

それが現実だ