髙木 友ニ

ケアマネジャー兼小説家です

1、介護って女がするものなの?

この物語は、今、社会問題にになっている

介護離職

について描いた物語です。

 

 

仕事を継続し、義母を介護保険のサービスを利用しながら、少ない料金で、なんとか自宅で介護して行くという物語です。

 

介護保険の利用、料金は難しく、素人の方はは全くわからないと思いますので、私なりの説明を入れていきます。

 

説明が下手で意味がわからない事もあるかと思いますがご了承ください。

 

まだ、親の介護は必要ないけれど、将来心配という方も、自分の親の介護のシュミレーションとして読んでいただけると幸いです。

 

一人でも介護離職する人が減りますように・・・

 

                                  高木友

 

題名   介護って女がするものなの?

登場人物

主人公 吉田智子

    長男妻 介護が必要になった義母

        なんとか支えたい

    吉田よし子

    義母  ある日突然介護が必要と

        なった

    吉田登

    智子の夫 母親の介護に消極的

  

 

     

 

         

最近とても心配なことがあります。

 

 

そのことを考えると、仕事も手につかない状態になることもあるのです。

 

 

それは同居している義母のことです。

義母は今年で85歳

 

 

今まで病気知らずで、とても元気でした。

性格は穏やかで、私達もいろいろ目を掛けてくれる優しい人でした。

 

しかし一年ほど前、義父ががんでなくなってしまい、それから徐々に元気をなくしてしまいました。

 

 

義父の病状は、がんが発見された時にはもう手遅れ。

 

 

病状もあっという間に進み、入院してすぐに意識がなくなり、数日後には眠るように息を引き取りました。

 

 

がんが発見されて亡くなるまで2ヵ月ほどでした。

 

 

義母は義父ととても仲がよく、いつも一緒にいるような夫婦でした。

 

 

だから、急に義父がこの世にいなくなった事を受け入れる事が出来なかったと思います。

 

 

元気がなくなり、地域の集まりや近所の友達の所へも行かず、いつも家の中にいるようになってしまいました。

 

 

夫と話し合いましたが、義父が亡くなってショックなのだろう

 

 

様子をみるしかない。

 

 

そういう結論に至りました。

 

 

でも、今考えると、その時なにか手を差し伸べておけば、今の状態は少しは変わっていたかもしれません。

 

 

   

       

私が義母の異変に気づいたのは2週間ほど前のことです。

 

 

仕事を終えて家に帰ると、義母の部屋から尿臭が漂ってきました。

 

 

どうしたんだろうと義母の様子を見に行った時、驚きました。

 

 

履いているズボンは尿で濡れていて、座っていた座布団、そしてシーツにも尿の跡が付いていたのです。

 

 

多分、トイレに行こうとして間に合わなかったのでしょう。

 

 

排泄はとてもデリケートな問題です。

 

 

強く言うと義母を傷つけてしまうかもしれません。

 

 

「お義母さん、トイレ間に合わなかった?」

 

 

なるべく小さい声で言いました。

 

 

そうすると義母は小さくうなずきました。

 

 

私はこのままの状態にしておくわけにはいかないと考え、義母が傷つかないように言葉を選びながら、なんとかズボンを着替えさせ、部屋の座布団なども洗濯しました。

 

 

ショックだったのは、あれほどきれい好きな義母が、この臭いの中、ズボンも履き替えずいた事です。

 

 

この臭いが義母にはわからないのか・・・。

 

その夜、夫にこのことを話し、どうしたらいいか話し合いました。

 

 

しかし、夫は話を聞いてはくれるものの

 

 

「介護のことは俺にはわからない」

 

 

と言うだけで、自分でなにか動こうとしません。

 

 

しかし私も介護なんてやったことがないのでどうしたらいいかわかりません。

 

 

夫も私も、義母のことは心配していました

 

 

しかしこれといった打開策もなく、日々が過ぎていきました。

 

 

そうこうしているうちに、義母の状態が徐々に進んでしまったのです。

 

 

その晩、夫と話し合いを続けましたが、結局いい案が出ることはありませんでした。

 

義母の状態が悪くなってから私の生活は一変しました。

 

 

仕事を終え家に帰ると、まず義母の部屋に顔を出しました。

そして汚れた衣類を片付けました。

 

 

義父が亡くなってからふさぎ込んで外に出ない生活を送っていた結果、義母は歩くのも大変になっていました。

 

 

少し前までスタスタと歩いていたのに・・・

 

 

私達が仕事で家を空けている時、義母は布団で寝ている時間が多かったようです。

 

 

トイレに行くのもやっとでした。

 

 

時折ふらついて転びそうになり…私が身体を支えてようやくトイレにたどり着ける、そんな状態でした。

 

 

体力も低下していましたが、気力も低下していました。

 

 

以前は話しかければ笑顔で話してくれてのに、今はうなずくだけの空返事ごほとんどで、言葉を話すこともなくなってしまいました。

 

 

なんでこんな状態になるまで気づかなかったのか・・・

 

自分を責めました。

 

 

でも夫も私も平日はずっと仕事。休みは掃除や洗濯、買い物のなどの家事をしていると1日なんてあっという間に終わります。

 

 

最近は仕事中義母のことが心配になることがあります

 

 

家で転んで動けなくなってしまっていたら

 

 

体調が悪くなっていたら

 

 

そしてこれからどうしたらいいのだろう。

 

 

そんなことを考えると、仕事が手につかない状態になってしまうのです

 

夫と話していてもらちが明かないので、私はいても立ってもいられず、近くに住む義理の姉に連絡を入れました。

 

 

義姉の名前は和子さんといいます。

 

 

近くに住んでいますが、気の強いタイプで私とはあまり馬が合わず、久しくしていませんでした。しかし今はそうも言っていられません。

 

 

和子さんにとって実のお母さんのことです。

必ず相談に乗ってくれ、そして力になってくれると思い連絡しました。

 

 

私の期待通り、和子さんに相談したところ、すぐに行くと言ってくれました。

 

 

義母のことは誰にも相談できずに苦しい思いをしてきました。

これで相談に乗ってもらえる人ができた。

そう考えると、少し気持ちが楽になりました。

 

 

そして週末、和子さんが来ました。

玄関を上がるとすぐに義母の部屋に入って行きました。

 

 

「お母さん、智子さんから聞いたわよ。最近トイレも間に合わなくなっちゃったんだって?」

 

 

なんの前触れもなく、そんなことを大声で義母に言ったものですから、私は驚きました。

 

 

親子でも少しは配慮して物を言うと思っていたのです。

 

 

「ああ、そうなんだ」

 

 

義母はため息混じりに答えました。

 

 

「ひどい臭いね。こんなんじゃあ智子さんだって大変よ。お母さんしっかりしてちょうだい。トイレくらい自分で出来ないと、恥ずかしくないの?」

 

 

なんてひどい言い方をするんでしょう。

私は絶句しました。

その上私の名前まで出して・・・

 

 

これじゃあ私がお義母さんを邪魔者扱いしたように思われても仕方ありません。

 

 

私は和子さんの手を引き、部屋から出しました。

 

 

「和子さん。いくらなんでも言い方がひどいよ。お義母さんだって、失禁したくてしているわけじゃないんだし。私はお義母さんに元気がないから相談に乗ってもらおうと思ったの。」

 

 

戸惑いながら言うと、和子さんは

 

 

「私は実の子供だから遠慮なく言いたいことが言えるのよ。そうやって今までやってきたんだから。それにこのままだと本当に認知症になったり、歩けなくなったりして大変になるのは智子さんよ。わかってるの?」

 

 

私に向かいそう言うと、また義母の部屋に入って行きました。

 

 

「お母さんしっかりして。このままだと寝たきりになっちゃうわよ。認知症になるかも。今問題になってるでしょう。自分のことは自分でやる。もうお父さんのこと引きずるのはやめよう。死んじゃって戻ってこないんだから。お父さんだって、今のお母さんの姿見たら心配するよ。頑張って」

 

 

お義母さんの肩に手を置きながら話しかけました。

 

 

話しかけられた義母は、下を向き、暗い顔をしながら小さくうなずくだけでした。

久しぶりの親子の対面とは思えない光景でした。

 

 

しばらく和子さんは話しかけましたが、義母の表情は暗いまま。

 

 

その様子を見た和子さんは

「こりゃ、重症ね」

そう言うと、部屋を出ていきました。

 

 

私もそれに続き!リビングにある机に座り、二人で話し合いを始めました。

 

私と和子さんはリビングの机に向かい合って座りました。


すると私に向かって


「ここまで重症だとは思わなかったわ。どうしてこんなになるまで私に言わなかったの?」


大声で私を怒鳴りつけました。


私は驚きました。


「いや、1カ月前まではしっかり歩いていたし、話もしてたの。でもこの2週間くらいで一気にこんな状態になってしまって。トイレも間に合わないし!話しかけてもあまり返事はないし。私どうしたらいいのか・・・」


私が心底困って言うと、和子さんはイライラしたような顔をして


「あなたがお母さんをしっかり見ていなかったからよ!!」


私に向かって言い放ちました。


私はその言葉を聞いて、心がナイフでえぐられたような感覚に陥りました。


「お父さんが死んだこと、お母さんがどれほどショックだったか私にはわかるわ。実の娘ですもの。本当に心配だった。本当なら私も顔を見に行かなきゃって思ったけど、弟夫婦と同居しているし、姉がわざわざ出てきたら迷惑かなって思って行かなかったの。そしたら1年もたたないうちにこんな状態になって・・・。私ショックだわ」


今思えば、実の娘なんだから、顔を出さないあなたも悪いんじゃないの?


そう反論できたと思いますが、その時はあまりにひどいことを言われたので、頭の中が真っ白になってしまい、言い返すことができませんでした。

 

「これからはお母さんをしっかり見てちょうだい。このままじゃあお母さんがかわいそう」


「そう言われても私も仕事をしているから、日中お義母さんを見ることができなくて。悩んでいるのよ・・・」


「この状態で何言ってるの?仕事なんてやめなさいよ。散々お母さんにお世話になっておいて。老人ホームに入れるつもり?私は絶対反対だから」


「そんなこと言ってない。ただお義母さんをどうしたらいいかわからないの。今のままじゃあますます悪くなっていきそうで」


「そう思うならすぐに仕事を辞めてお母さんの介護をすることね。そうしたら今より良くなるんじゃないかしら」


「和子さんは、なにか手伝ってくれないの?」


「私も手伝いたいけど、介護は長男夫婦がやるものなの。一緒に住んでいるんだし」


そう言うと、取り付く島もない勢いで帰って行ってしまいました。

私は追い込まれました。

 

 

夫は全く義母の介護をしようとしないし、義理の姉は私にすべてを押し付けました。

 

他に親戚もいないし、頼れる人もいません。

 

和子さんの言うとおり、私が仕事を辞めて義母の介護をする選択をすることもできますが、私達にはまだ大学に行っている子供が2人いて、仕送りがあり経済的にも全く余裕はありません。

 

 

仕事を辞めたら子供達への仕送りが出来なくなります。そう考えると、どうしても仕事を続けなくてはなりません。

 

しかし義母の状態もかなり深刻です。

 

和子さんが帰ってから、今までより落ち込んでしまったような感じがするのです。

 

実の娘に、ひどい臭いだの恥ずかしくないのなど言われてショックを受けたようです。

 

和子さんが来てくれたことは全くと言っていいほど意味がありませんでした。

 

逆効果と言ってもいいくらいです。

 

私は義母に大変お世話になりました。

大切にしたいという気持ちに嘘はありません。

 

放置していたということは絶対ありません

ただこの1カ月でここまで状態が悪くなるなんて思ってもみませんでした。

 

 

誰も私の悩みをわかってくれない。

そのことが本当に辛くて仕方ありませんでした。

 

今日も仕事を終え、家に帰りました。

すぐに義母の部屋に向かいます。

尿臭は、部屋の外まで漂っていました。

 

まず義母を支えながらゆっくりトイレに連れていきました。

そして服を着替えさせます。

義母は昨日着ていたパジャマをそのまま着ていました。

1カ月前なら考えられないことです。

着替えさせ後、部屋の座布団、シーツを洗濯します。

 

汚れた物をすべて部屋から出しましたが、尿臭はまだ治まっていません。

 

一体どこから臭ってくるんだろう・・・

 

そう考えて私ははっとしました。

 

義母は何日お風呂に入っていないのだろう・・・。

 

今までは私達が仕事に出ている昼間に、一人でお風呂に入っていました。

 

そういえば最近お風呂に入った形跡がありません

 

すぐにお風呂の準備をし、義母をお風呂に入れようとしました。

 

「お義母さん、お風呂に入りましょう」

 

そういって義母を支えながらなんとかお風呂場に連れていき、脱衣所で服を脱がせました。

 

そしてゆっくりお風呂の椅子に座らせてシャワーを浴びさせました。

私が頭を洗ってあげ、背中を流していると

 

「智子さん、悪いね。ありがとう」

 

私に向かいそう言ってくれました。

 

義母は椅子から立ちがるのさえ難しいほど足に力が入らない状態でしたが、なんとか立ってもらい、転ばないようにゆっくりと湯船に入ってもらいました。

 

義母は気持ち良さそうな表情をしてくれました。

 

義母のこんな表情を見たのは久しぶりの気がします。

 

10分が経過しました。

 

「お義母さん、そろそろ上がりましょう。のぼせたらいけないから」

 

義母に声をかけお風呂場に入りました。

 

「はいよ」

 

その言葉とともに義母は、湯船の壁につかまり立ち上がろうとしました。

しかし、なかなか立ち上がってこれません

 

仕方ないと思い、私は義母のわきの下に手を入れ、引っ張りあげようとしました。

 

 

しかし義母の体は持ち上がりません

 

 

「お義母さん、足に力を入れて!そうしないとお風呂から上がれないわよ!!」

 

 

大声で言い、全身に力を入れました。

 

 

しかし義母の体は全く持ち上がりません。

 

それどころかバランスを崩し、足が上がってしまい、顔がお風呂に沈んでしまいました。

 

その姿を見て、私はパニックになりました。

 

「誰か、誰か助けて!!」

 

 

思いもよらなかった状況に、私は大声で助けを求めました。

 

 

もう錯乱状態でどうしたらいいかわかりません。

このままではお風呂から上げることができない。

義母がのぼせて死んでしまう。

 

 

「おい!どうした!!」

 

 

その時後ろから男の人の声が聞こえました

 

「あなた、助けて!!お義母さんをお風呂に入れたら上がれなくなっちゃった」

 

それを聞いた夫は着ていたスーツのまま湯船に入り、なんとか義母の体を持ち上げ、義母の体を湯船から出しました。

 

義母の体は真っ赤になっていて、あと少しでも遅れていたらどうなっていたか。

 

そう思うとぞっとしました。

 

とりあえずシャツを着せて、夫と義母の体を持ち上げ部屋の中に連れていき布団に寝かせました。

 

義母に話しかけると、

「大丈夫、大丈夫」

そう答えました。

 

 

その時私は私の体に尋常ではない汗をかいているのと、全身が震えているのに気づきました。

 

 

お風呂から義母を上げるときは無我夢中で気が付きませんでしたが、少し時間をおいて気が抜けたとき、腰が抜けたように足に力が入らなくなっていました。

 

 

義母が落ち着いて眠るのを確認した後、夫にことの顛末を話しました。


今日も失禁していたこと
臭いがついていたのでお風呂に入れようとしたこと
お風呂に入れたら義母が湯船から上がれなくなってしまったこと


夫はうん、うんと話を聞いてくれました。
私も、もうこんな怖い思いをしたくありません。


でも、義母をお風呂に入れてあげないわけにもいきません。


「あなたお願いがあるの。お義母さんをお風呂に入れてあげて。私力がないから、また同じようなことになったらどうしたらいいかわからない」


夫にお願いしました。


しかし夫は困ったような顔をしました。


「いや、お母さんをお風呂に入れてあげるって・・・ちょっと嫌だな。どうやったらいいかわからないし・・・」
「どうしたらいいかって簡単じゃない。体を洗ってお風呂に入れてあげればいいだけよ」
「それはわかるよ。いや、なんかね・・・自分の母親を裸にしてお風呂に入れるっていうのはなぁ」


夫の煮えきらない態度に私はイライラしました。

その時、夫はゆっくりと私と目を合わせ


「いや、それに介護って女がするものじゃないのかな」


思いもよらない言葉を言ってきたのです!!!


先程からイライラしていた私の怒りは頂点に達しました。


「あなたのお母さんでしょう!!子供なんだから親が困っていたら手を差し伸べるのは当然でしょう!!!」


自分でも驚くような大声を出してしまいました。


多分今まで義母のことを心配し、ストレスが溜まっていたためだと思います。
その上、介護は女がやるものだ、そんな言葉が夫の口から出たことで、そのストレスが私の中で爆発しました。


「それに介護は女がやるものってどういう意味よ。それは昔、専業主婦がいたころのはなしでしょ。私だってあなたと同じく仕事をしているのよ。毎日クタクタで帰ってきてるのに、あなたの食事の準備、洗濯、そしてお風呂掃除。なんで私だけ家事をやらなきゃいけないの。あなた一度だって手伝ってくれたことないじゃない。お義母さんの介護だって簡単じゃない、とても大変よ。それまで私が全部やれっていうの?」


大声で夫に向かい怒鳴りました。


夫は心底驚いた顔で


「まぁ、落ち着いてくれ、悪かった。お母さんのことはよく考える、少し時間をくれ」


そう言って困った顔をしました。


「わかったわ。でも今日はご飯を作る気にならないから、コンビニでも行ってなんか買って食べてちょうだい」


そう言って私はリビングを後にしました。
その夜、私はあまり眠りにつくことができませんでした。


義母お風呂に入れたとき、どうしてもお風呂から上げることができなかった恐怖。


そして夫への怒り。


夫には幻滅しました。
自分の親なんだから少しくらい協力してくれると思っていたのに。

 

しかし蓋を開けてみれば手伝おうともしてくれなかったのです。


どうしようもない怒りと絶望が私を襲ってきました。
本当に介護を手伝ってくれないなら離婚も考えよう・・・


その時、ドスーンと大きな音が暗闇に響き渡りました。


私は驚いて飛び起き、廊下の電気を付け、音がした方向に進みました。


2階には全く異常がありません。
ゆっくりと階段を降りました。
1階の電気を付けました。
しかし静寂に包まれ、特に気付くことはありません。


空耳だったのか・・・


そう安堵し、最後に義母の姿を見に部屋の中に入りました。


「お義母さん、なんかすごい物音がしたけど大丈夫?」


ゆっくりと暗い部屋の中を進み、義母ご寝ている布団の近くにいきました。


布団を見て驚きました。義母の姿がないのです。


慌てて部屋の電気を付けました。
明かりに照らされてもいつも寝ている義母の姿は本当にありませんでした。


どこへ行ってしまったのだろう・・・
私は部屋を出て、あたりを見回しました。


すると廊下の突き当りにあるトイレの電気が付いていたのです


なんだ、トイレだったのね。


安堵して、トイレの中にいる義母に声を掛けました。


すると中から小さなうめき声が聞こえてきたのです。


私は不審に思い、トイレのドアを開けました。
そして目の中に飛び込んできた光景に驚き、声を上げました。


義母がトイレの床にうつ伏せで転んでいたのです。


「お義母さん大丈夫?」


そう言って必死に義母の体を持ち上げました。


「どこか痛いところはない?」


義母をゆっくり立たせると、支えながら布団まで連れていきました。


「智子さんありがとう。ズボンを上げようとしたら転んじゃって」


私に対し申し訳なさそうに言いました。


「痛いところはない、大丈夫だ」


義母は私に向かい言いました。
その答えを聞き、私は安堵し寝室に戻りました。


しかし夫は全く起きてきません こんな大きな音がしたのに夫はどうして起きてこないのだろう。


怒りを覚えながら夫の寝室を覗くと、夫は気持ち良さそうにいびきをかきながら寝ていました。

 

私はその寝顔を見て、生まれて初めて人に殺意を覚えました。
そんな時、私に手を差し伸べてくれる人が現れました。

 

近所に住む村山さんという人です。

 

昔からこの地区に住んでいる人で、もうすぐ80歳近くになる人です。

 

義父とは付き合いがある人で、時折飲みに行ったりする間柄だったそうで、わたしも時折道出会うと挨拶し、世間話をする中でした。

 

私とは、その程度の付き合いでしたが、突然村山さんが家を訪ねて来たのです。

 

「こんにちは。最近よし子ばあさんの調子はどうだい?ほとんど外では見かけないけど」

 

玄関に入り突然義母のことを聞いてきたのでびっくりしていると

 

村山さんは笑いながら

 

「今年から民生委員をすることになってね。このご時世、地区の役なんて誰もやりたがらないだろう。私も断ったんだけど、どうしてもって頭下げられちゃって。仕方なく受けるしかなかったんだ。それでこの地区の高齢者のところをまわっているんだよ」

 

困ったような顔で私に言いました。

 

「民生委員やってるんですか。それは大変ですね。それが、義母なんですが・・・」

 

私が顔を曇らせながら言うと、村山さんは雰囲気を悟ったらしく

 

「私は民生委員だから、個人情報は他には絶対漏らさない。困ったことがあったら相談して。よし子さん最近全く姿見かけないから心配だったんだ。知らん中でもないし、気軽に言ってよ」

 

優しく、そして笑顔で私に話しかけてくれました。

 

その笑顔に、私は村山さんを信用し、今の状態を話し始めました。

 

義母が2週間くらい前から失禁してしまっている事。

 

お風呂にも入れてあげられない事。

 

夫は全く介護に協力してくれない事、義姉にすべてを押し付けられた事

 

日本人は家の中の闇の部分を、外の人にあまり話そうとしません。

 

私も同じ考えでした。

 

しかし一度話し始めるとすらすらと話してしまいました。

 

私は本当に悩み、追い込まれていたんだと思います。

 

「そうか・・・。それは大変だ。よし子さん見ないうちにそんな状態になっていたんだ。それは心配だし、第一、智子さんだって大変だろう。」

 

村山さんはそういった後、少し考えてから

 

「今、そういうお年寄りに対していい制度があるんだ。介護保険制度って言うらしいんだが。私もまだ民生委員を始めたばかりだからあまり詳しくないけど、そういう制度に詳しい人がいて、その人に相談するといろいろ助けてくれるらしいよ」

 

介護保険制度ですか・・・。それはどこに相談すればいいんですか?」

 

地域包括支援センターっていうところが相談に乗ってくれるらしい。介護のこと詳しいらしいよ。先日そこの職員さんと話をする機会があってね。ぜひ相談したほうがいい。なんなら私から話を通しておこうか?」

 

「いえ、少し考えさせてください。義母の意見も聞かなければならないし私一人の考えでは・・・。それに介護保険制度を使うと何がいいのでしょう?」

 

「残念だけど私もまだ勉強中でね。よくわからないんだ。でも相談は無料だって。それで介護のことならなんでも相談に乗ってくれるって。早いうちに地域包括支援センターに相談したほうがいいよ」

 

「ありがとうございます。できるだけ早く検討します」

 

 

智子を頭を下げると、村山さんは玄関を出ていきました。

 

村山さんが帰ったあと…私は家のノートパソコンを開き、地域包括支援センターについて調べました。

 

地域包括支援センターをクリックしてみると仕事内容が記載されています。


そこには介護の予防ケアマネジメント、包括的、継続的ケアマネジメント、総合相談、権利擁護が主な仕事だと書いてありました。

 

素人の私には何をするところなのかさっぱりわかりません。


カタカナ文字が多すぎる・・・。


ケアマネジメントって一体なんだ?


英語に疎い私には全くその意味がわかりません。

包括的、権利擁護という言葉もわかりませんでした。


私は日本語も疎いようです。


しかし村山さんの言うとおり、地域包括支援センターという場所はこの地域にもあるようです。


もっと調べていくと、地域包括支援センターは担当場所によりいろいろな法人や会社がやっていて、私の家の地区を担当している地域包括支援センターは、車で10分ほど走った、老人ホームの中にあるようです。

 

本当にここに相談すれば、今の私が置かれている状態は良くなるのだろうか・・・。


ただ、総合相談という文字が私の目に止まりました。


介護の相談ならなんでも受けてくれると書いてあります。


先程も言いましたが、私は家の中の問題を人様に話すのは恥だと思っています。

 

でも今の私は、家族が誰も助けてくれない中、一人ではどうすることも出来ない、そんな苦しみの中にいます。

 

私はわらにもすがる思いで、地域包括支援センターに相談しよう。

 

そう選択したのです。

「もしもし地域包括支援センターでございます」

 

明るい女性の声が受話器から聞こえてきました。

 

「すいません、相談に乗ってもらいたいのですが・・・。同居している義母のことなんですが」

 

「なにかお困りのことがありますか?」

 

私は答えに詰まりました。

 

電話をする前に、話すことは整理していたつもりでしたが、いざ相手に説明しようとすると、なにから伝えればいいのか全くわからなくなりました。

 

「恥ずかしいことなんですが」

 

その言葉からはじめました。

 

私はまだ家の中のことを、見ず知らずの人に話していいのか迷っていました。

 

「お義母さんの介護のことでお困りのことがあるようですね?」

 

しばらくなにも言えないでいると、相手の人が話し掛けてくれました。

 

「そうなんです。同居している義母が…最近全く元気がなくて・・・。歩くのもふらふらだし、失禁するようになってしまって」

 

「それは心配ですね。それで介護保険サービスを受けたいと」

 

介護保険サービスですか?」

 

介護保険サービスってなんだろう?

 

「そのサービスってなんですか?すいません、私全くわからなくて・・・ただ民生委員の方が、そちらに連絡すれば相談に乗ってくれると教えてくれてもので」

 

私がそう答えると、相手はしばらく考え込んだ後

 

「わかりました。大変お困りの様子で。どうですかねえ、電話ではなんですので、こちらに来ていただくか、私ども職員がそちらのお宅にお邪魔して、詳しくお話を伺いたいのですが」

 

「うちに来る、ですか?」

 

私は部屋を見渡しました。

部屋の中は掃除が行き届いておらず、部屋の隅はホコリだらけ・・。

 

その上義母の尿臭のする家に、見ず知らずの人を上げるわけにはいきません。

 

「すいません、家は片付いていないもので、私が伺います。いつ頃伺えばよろしいですか?」

 

「そうですね、きょうでしたら予定を確認したところ、職員がおりますので、いつでも結構です」

 

「今日でいいんですか?今からでも?」

 

「もちろん大丈夫です」

 

私は少し考えたあと、今から行きますと伝えました。

 

話がとんとん拍子に進んでしまい、少し戸惑いましたが、

 

私も仕事をしている身。

 

今日を逃したらいつ仕事を休めるかわかりません。

 

それに私を包んでいる不安から一刻も早く開放されたい。

 

その思いが私の心の中から湧いてきました。

 

「じゃあ、1時間後の午後2時頃そちらにか伺います」

 

「わかりました。お待ちしています。」

 

その女性に私の名前と電話番号を伝えると、私は電話を切りました。

私は身支度を整えると車に乗り、地域包括支援センターに向かいました。


場所はかなり昔からある老人ホームの敷地内にあるようです。


近くに老人ホームごあることは知っていましたが、介護とか老人ホームには私は関係ないものだと考え、近寄ることもありませんでした。


しかし、いきなりその老人ホームに向かうことになるとは・・・。


本当に人生、一寸先は闇。
未来の事はわからないものです。


義母の介護で仕事を辞めなければならないのか?


私はそれが一番心配でした。


義姉に仕事を辞めて、義母の介護をしなさい、そう言われたことが私には心の中になまりのようにのしかかってきていたのです。


介護離職・・・


世間で大変な問題となっています。


まさか私の身に降りかかってくるとは・・・


義母に目を向けていなかった私を責めました。


今の義母を家に一人でおいておくのは心配です。


今まで義母には本当にお世話になったので、私としても出来る限りのことはやってあげたいと思います。


しかし、大学に通う2人の子供の事を考えると、今の仕事を辞めるわけにも行きません。


どうしたらいいのか
そんな答えの出ない疑問が、私の頭の中をぐるぐると回っていました。


私は老人ホームの前に立つとあたりを見渡しました。


地元でかなり以前からやっている老人ホームなので、建物は古く、中は大勢のお年寄りがいるはずですが、あまり人の気配がしません。


ゆっくりと玄関の戸を開けると、すぐ事務所があり、メガネをかけた高齢の職員の方が出てきました。

 

地域包括支援センターに用事なんですが・・・」


「お約束はございますか?」


「はい、伝えてあります」


「そうですか、ではそちらに掛けてお待ちください」


そう言うと、その方は机に座り電話でどこかに連絡を取り始めました。

 

「担当の者がここに来ますのでしばらくお待ちください」


そう言われ、私は担当者が来るのを椅子に座って待ちました。


この老人ホームは築何年なんだろう・・・


周りを見渡すと、かなり年季の入った天井や廊下が目の前に広がっています。


ここに何人のお年寄りが生活しているのだろう。

 

時折職員さんが目の前を通っていくだけで、他に人の話し声などはしません。


これが老人ホームか・・・


お義母さんをこんな所に預けたくないなぁ


廊下の先は伺うことはできませんが、この重苦しい空気を肌で感じると、義母をここで生活させるのは可愛そうな気になりました。

 

「お待たせしました。申し訳ありません。こちらへどうぞ」

 

しばらくすると中年の女性が私のところにやってきて、少し廊下を歩いたところにある部屋に案内しました。

 

わたしも後ろに続き、部屋の中に入りました。

 

4人が座れる机に案内されると、私は末席に座りました。

 

「わざわざ足を運んでいただきまして申し訳ありません。わたくし、ここで主任ケアマネとして働いている上岡と申します。よろしくお願いします」

 

私の名刺を渡したあと、私の前の席に座りました。


どんな話をしたらいいのだろう・・・


私が下を向いて困っていると


「ここに来られたということは、たいへんお困りだったのでしょう。」


「ここでお話することは大変勇気がいることだと思います。今の話せることだけで結構です。私も微力ではございますが、お力になりたいと思っています。もちろん、個人情報につきましては十分配慮いたします。絶対他には漏らしません」

 

そう優しく声をかけてくれました。

 

その言葉を聞いて、私は今までの事を包み隠さず上岡さんに伝えました。


1カ月前までは元気がないかな、と感じるくらいだったこと


2週間くらい前から失禁ご目立つようになったこと

 

歩くのも不安定になってきていること


夜中にトイレで転んだこと

 

お風呂に入れてあげたら、湯船から上げることができず、大変慌てたこと

 

夫は自分のお母さんなのに、全く介護しようとしないばかりか、介護は女がやるものだと私に向かって言ったこと

 


小姑は、あなたが義母をしっかり見ていなかったせいだとすべて私の責任にしたこと

 


私は平日仕事をしていて、義母の介護をするのは限界があるということ

 

子供が2人いるが、2人とも大学生で今一番お金がかかる時期だということ

 

私の話を上岡さんはメモを取り、頷きながら反論もせず聞いてくれました。


私はここまで話す予定ではありませんでしたが、この苦しい思いを誰かに聞いて欲しかったのでしょう。

 

言葉が次から次に出てきました。


話し終えると上岡さんは


「それは大変でしたね、これから義理のお母さんであるよし子さんの介護をどうしていくか、その話し合いをしましょう。」

そう言った後、目線をしたに向け、机の上に置いた本を見つめました


「まずは介護保険の申請をしましょう」


介護保険の申請ですか?」


「そうですね、介護保険を申請し、介護保険サービスを利用することで、吉田さんの助けになると思います」

 

介護保険サービスって一体何があるのですか?そういう事が私全くわからないもので」


私の問いに上岡さんは、まぁ焦らないでと言い

 

「サービスの種類は追って説明するとして、まずは介護保険の申請の手続きをします。まずよし子さんの介護保険証、そして主治医の先生の名前を教えてもらってよろしいですか?」

 

その質問に私は少し狼狽しました。


義母の介護保険証がどこにあるかもわからないし、義母はあまり医者にかかりたくない人で、病院に行ったことを聞いたこともありません。

 

「すいません、義母の介護保険証へどこにあるのかわかりません、それに義母は医者嫌いで・・・病院にかかったことが最近ないと思います。こうなる前はずっと元気だったので・・・」

 

それを聞いた上岡さんは


「それならば、近くの内科医院に行ってください。どこでもいいです。そして介護保険を申請したいので、主治医の意見書を書いてほしいとお願いすれば、どこの内科医院でも対応してくれます」

 

義母を病院へ。私も仕事があるので平日は連れて行くことが難しい。

 

それに義母はなにかの病気なんだろうか。
病気でもないのに病院に連れていかなければならないのだろうか。


「義母は特別何かの病気ではないと思うのですが、それでも病院に行かなければならないのですか?」


「必ず行かなければなりません。主治医先生の意見書というものが無ければ、介護保険サービスは受けられないのです」

 

そう言われた為、少し悩みましたが


「わかりました。近所の内科の先生に義母を見てもらおうと思います」


病院に連れて行くことを決めました。


確かに義母は80歳を越えています。


なにかの病気で今の状態になってしまったのかもしれません。

 

健康面に全く配慮していなかったことを後悔しました。


この年だから、何かの病気に罹っていても不思議ではないなぁ。


そう思いながら、その問題に目をそらしていた。


もしかしたら何かのの病気で、今の状態になってしまっているのかもしれません。


「あと、申し訳ないのですが、吉田さんのお宅にお邪魔してもよろしいでしょうか?」


「えっ。私の家にですか?どうして?」


私は驚いて声を出してしまいました。


あんな尿臭のする家に人様をあげたいと思いません。

 

吉田よし子さんにお会いしたいのです。よし子さんのお話を伺うことも重要ですし、どのような介護保険サービスがあっているか検討させてもらいたいのです」


少し悩みましたが、そう言われたら仕方ありません


「わかりました」

 

私はそう答えました。


来てもらう前に家の掃除をして、家の中にこもった匂いをなんとかしないと


「あと、いつ吉田さんのお宅にお邪魔させてもらうか。日程を決めさせてもらいたいのですが」

 
「日程ですか!もう、日にちを決めるんですね」


仕事の日程を頭の中に思い浮かべました。


多分、水曜日は仕事の予定後少ないからなんとか有給が取れる。


「じゃあ、水曜日に休みを取ろうと思います。午前中に義母を病院へ連れて行くので、午後はいかがですか?」

 

私がそう言うと、上岡さんはノートを見て、


「午後2時くらいに訪問します。その時…私と居宅支援事業所のケアマネ2人で伺ってもよろしいですか?」


「上岡さん以外にもう一人ということですか?」


「そうです。お話を聞いていると、要介護に判定されそうなので。要介護と判定された場合、地域包括支援センターの担当ではなく、居宅支援事業所の担当となるなもので」


忙しいと日々はあっという間に過ぎていきます。明日、地域包括支援センターの上岡さんが家に来る日になりました。

 

前日、夫に私の代わりに仕事を休んで対応してくれない?一応頼んでみましたが無駄でした。

 

どうしても外せない会議があると言って逃げられました。

 

どうせたいした会議も無いくせに・・・。

 

そう言いたかったのですが喧嘩しても仕方ありません。

 

まずは家の掃除をして、義母の着ているものや布団を洗濯しました。

 

しかしどうしても部屋に染み付いた尿臭は取れません。

 

こんな家に明日、上岡さんと居宅支援事業所のケアマネさんが来るのか・・・。

 

そう考えると恥ずかしくて顔から火が出そうになりました。

 

次の日、朝早く起きてもう一度義母の部屋を掃除し、窓を全開に開けたあと、近所の内科に義母を連れていきました。

 

上岡さんが行った通り、介護保険の主治医意見書を書いてほしいと伝えると、対応しますので来てください。

 

そうなんの問題もなく受診させてもらえました。

 

歩くとふらつく義母をなんとか車に乗せ、内科に連れて行くと、血液検査、心電図検査などいろいろな検査を受ける事になり、かなりの時間がかかりました。

 

検査結果は特に異状なし。

ただ長谷川式の検査の値が良くなく、認知症の疑いがあると言われました。

 

義母が認知症・・・。

 

医師は平然と言いましたが、その言葉を聞いた時、少なからずショックを受けました。

 

私は思ってもみませんでした。

 

認知症と言われると、どうしたらいいのか、そしてこれからどうなるのだろう。

 

そんな気持ちが私を包みました。

 

どうして義母は認知症になってしまったのだろう。

 

なんで私は気付かなかったのだろう。

 

認知症になるまで、私に何かできることはなかったのか・・・。

 

待合室の椅子の上で、私は義母を見ながらいたたまれない気持ちになりました。

 

しばらくすると名前が呼ばれ、料金を精算すると、また義母を支えながら車に乗せ、なんとか家に帰りました。

 

家に帰り、ご飯を済ませると一息つく間もなく玄関のチャイムがなりました。

 

玄関を開けると、上岡さんとその横に40代位の男性が立っていました。

 

「わざわざすいません、汚い所ですがどうぞ」

 

そう言って2人を向かえ入れ、そして義母の部屋に案内しました。

 

午前中、掃除をして部屋を開けっ放しにしておきましたが、まだかすかに部屋の中には尿臭が漂っていて、私は恥ずかしく思いました。

 

「お義母さん、昨日話した地域包括支援センターの方が来てくれましたよ」

 

私が声をかけると、義母は身体を起こし座りました。

 

「初めまして、吉田よし子さん。わたくし地域包括支援センターの上岡と申します。横にいる男性は居宅支援事業所の富井といいます。今日はよし子さんの身体の状態をいろいろと聞くと思います。よろしくお願いします」

 

上岡さんが頭を下げると、義母も

「よろしくお願いします」

と頭を下げました。

 

男性でもケアマネジャーっているんだ。私は感心しました。

 

富井さんという男性は、次に私の方へ向き、名刺を差し出しながら

 

「居宅支援事業所の富井と申します。よろしくお願いします」

 

と頭を下げました。私は名刺を受け取ると同じように頭を下げました。

 

吉田よし子さんの介護認定が要介護に判定された場合、私が担当させていただきます」

 

地域包括支援センターは要支援の方しか担当できず、要介護になったら担当できないそうです。

 

「要介護になったら上岡さんは担当してくれないんですか?」

 

「そうです。そういう制度なので」

 

私の気持ちでは初めて相談に乗ってくれた上岡さんにずっと担当して欲しかったのですが、制度上不可能なようです。

 

それなら仕方ありません。

 

「それでは、よし子さんの介護保険証を見せてもらってもよろしいですか?」

 

上岡さんの言葉に私は焦りました。

介護保険証の事をすっかり忘れていたのです。

 

先程使った医療保険証を出すと

「それではありません。三つ折りになっていて、介護保険証と書かれているものなんですが・・・」

 

そう言われても私には思い当たる節がありませんでした。

 

そんなものあっただろうか・・・

 

その時、義母が持っていた巾着袋に手を入れ、介護保険証と書かれた三つ折りの書類を机の上に出しました。

 

「そう、これです」

 

義母はもともと几帳面な性格で、自分あての郵便物は欠かさず管理していました。

 

先程医師から義母は認知症だと言われましたが、まだしっかりしているところもあり、私は安心しました。

 

介護保険証を確認すると、富井さんはそれを受け取り

 

「こちらで少し預からせてください。介護保険のサービスを受けます、という届け出を役所に出します」

 

「その後、役所から認定調査の日取りの確認の連絡があります。そして、認定調査を受けて、主治医の意見書が合わさり、審査会という介護度を決める会議の後、認定が下ります。」

 

「認定が確定するまで、大体1ヶ月ほど時間が掛かります」

 

これからの流れを説明してくれました。

 

「1ヵ月もかかるんですね。じゃあその介護保険サービスを受けるのも、1ヵ月後になっちゃうんですね」

 

私はため息を付きました。

すると富井さんは首を振り

「いえ、役所に申請をした日から使えます。」

 

「ただ要支援と要介護では使えるサービスの量が違います。」

 

「例えばデイサービスを利用する場合、要支援の方は、週2回までと回数が制限されています」

 

「要介護の方は、そんな制限はありません」

 

 

「まだ認定も下りていない状態で、週に何回もデイサービスを利用した後、認定結果がもしも要支援だった場合・・・」

 

 

「要支援だった場合?」

 

「週2回を越えた利用が、介護保険では賄えず、全額自己負担となります」

 

「なので、認定結果がわかるまでは、出来るだけ利用を抑えて、その後わかり次第利用回数を増やすという方法をとるのが一般的です」

 

 

「その介護保険サービスって何があるんですか?私素人なのでそういう事が全くわからなくて・・・」

 

 

「それでは介護保険サービスの内容について説明していきます」

 

 

富井さんは話し始めました。

 

「親の介護は、長男妻の仕事なんでしょうか?」

 

「夫は全く介護をやろうとしてくれません。私が、手伝ってほしいとお願いしたら、介護は女がやるものだ、と言われました」

 

「夫の姉が近くに住んでいるんですか、義母の介護を全く手伝ってくれません。そして、介護は長男の妻がやるものなのと一方的に言われました」

 

「今まで、介護の事を全く考えていませんでした。義母が急に悪くなってしまって。でも私も仕事をしています。急に辞めることなんて出来ないし、まだ子供も大学生で、1番お金がかかる時期ですし・・・」

 

「先日まで義母は1人で生活出来ていたんです。急に部屋から臭いがするようになって、行ってみたら失禁がひどくて」

 

「びっくりしたけど、私にはどうしたらいいかわかりません。誰も私を助けてくれませんし、相談に乗ってもくれません」

 

私は2人の前で、今までの事、そして悩んでいることを話しました。

 

私は義母の介護をやりたくないと言っているのではありません。

 

こんな状態の義母を家に1人でいさせるのは、それは心配です。

 

そして、これからどうしたらいいかわからないのです。

 

介護なんて私はやったことがありません。全く経験や知識がありません。

 

これからどうしたらいいのか・・・

 

これからどうなってしまうのだろう・・・

 

最近不安で押し潰されそうでした。

 

私の話を上岡さんと富井さんは、特に口を挟むことなく、うなずきながら聞いてくれました。そして1通り話し終わると

 

「大変でしたね。介護の問題は非常にデリケートですから。結論から申し上げますと、今の時代、介護は長男妻の仕事というわけではありません」

 

「そして、今の仕事を辞める必要もありません」

 

上岡さんが私に向かって言いました。

 

「本当ですか?」

 

「本当です。まだ長男の妻が介護をしなければならないという考え方をする方は多いと思います。でも今は令和の時代です。介護保険サービスをうまく使い、仕事をしながら生活している方が多くいますよ」

 

「わかりました。ではその介護保険サービスを利用させてください」

 

私は期待を込めて言いました。

今まで義母の介護で仕事を辞めるしかないと思っていたので、心が少し軽くなる気がしました。

 

「ただ、少しお待ちください」

 

富井さんが私に言いました。

 

「これで、よし子さんが役所に介護保険サービスを利用したいと届け出を出します。その後、認定調査を受けなければなりません」

 

「認定調査ですか?」

 

「役所の職員がよし子さんの体の状態を調べに来るのです。役所に介護保険サービスを利用したいと届け出れば、明日からでも介護保険サービスを利用することは出来ます」

 

「ただ、先ほどもお伝えしましたが、認定結果が、要支援、要介護で大きく利用できるサービスの量が変わります」

 

「その認定結果を大きく左右するのが、認定調査なのです。体はどのくらい動かすことができるか、どのくらい歩けるか、排泄に失敗はないか、物忘れはあるか、等々」

 

「後に主治医の意見書と重ね合わせ介護度が下りますが、認定調査が非常に重要な割合を占めるものだと考えてください」

 

「認定調査はどうやって受けるのですか?」

 

「役所に届け出をして、しばらくすると、担当者から電話がかかってきます。その時に、日程を決めてください」

 

「それは平日ですよね」

 

「役所の仕事なので、基本的に平日です」

 

「そうですか・・・」

 

また仕事を休まなければならないのか。

でも、その認定調査を受けなければならないのなら仕方がない

 

智子は深いため息をついた。

 

上岡さん、富井さん、私、そして義母の4人で、利用する介護保険サービスについて話し合いが始まりました。

 

「まず、よし子さんの介護にどれくらいのお金をかけることが出来ますか?」

 

富井さんに聞かれました。

 

義母の収入は、国民年金の1ヶ月6万円のみ。それ以外の収入はありません

 

「出来れば、義母の収入の6万円以内で押さえたいのですが・・・。そのくらいでは難しいですかね?」

 

私が恐る恐る聞くと、富井さんは笑顔で

 

「それだけあれば十分です」

 

と答えてくれました。

 

「デイサービスを利用するにしても、1回昼食代を合わせても1,500円ほどです。月に10回行ったとしても15,000円。そこに他のサービスを入れたとしても、月6万円はかからないでしょう」

 

その言葉を聞いて私は心底安心しました。子供達への仕送りがあり、私達夫婦が働いていても、生活はギリギリの状態だったからです。

 

「まず、よし子さんを介護していく上で、困ることを挙げていただけますか?」

 

富井さんは私に語りかけました。

 

横に義母がいる状態で、話すのは気が引けましたが、この際だから、困っていることを言ってしまおうと決意しました。

 

「まず、排泄の面です。一週間くらい前は見られなかったのですが、最近トイレに間に合わないらしくて。着ている服が、尿で汚れてしまって。」

 

「そういう状態なんですね。リハビリパンツは履いてもらっていますか?」

 

「リハビリパンツですか?」

 

「そうです。紙パンツとも言いますが、使い捨ての紙パンツのことです」

 

私はリハビリパンツの存在は知っていましたが、義母に、リハビリパンツを履いてください、とは言えず、今の状態になっていました。排泄はなかなかデリケートな問題なので、相手を傷付けるかもしれないと言えないでいました。

 

「まだ、着けていません」

 

そう下を向いて言うと

上岡さんが義母に向かい

 

「よし子さん、リハビリパンツを履いたほうごいいですよ。このままだと服や布団が汚れちゃうし」

 

「それに今はいいリハビリパンツがありますから履いてください」

 

私も義母にリハビリパンツを履いてほしいと思ってました。しかしなかなか言えないことのひとつでした。

 

多分近い存在、特に親ということで、なかなかそこまで言っていいのか、悩んでいました。

 

「そうだねえ、履くことにしてみるか」

 

あっさり義母が承諾しました。

驚きました。

私が言っていたら、嫌な思いをしたり、少しトラブルになっていたかもしれません。

 

「ああとは、トイレまで行ってもらうか、ポータブルトイレを購入するかですね」

 

「じゃあよし子さんがどれくらい歩くことが出来るか、見せてもらってもよろしいですか?出来るようならトイレまで歩いていってください」

 

富井さんが義母に問いかけると、義母はゆっくり立ち上がりました。

 

そして部屋の壁を伝いながら、ゆっくりトイレの方に歩き始めました。

 

その時、義母の体がよろめきました。

 

「危ない!!」

 

私が叫び声を挙げた瞬間、すぐ後ろを歩いていた富井さんが義母の体を支えました。

 

「危なかったですね、支えていますので、頑張ってトイレまで歩いていってみましょう」

 

富井さんに支えられながら、義母はゆっくりトイレに向かいました。支えられながら歩くと、特にふらついたり擦るの様子もみられません。

 

 

「歩行器があれば、なんとか歩けそうですね」

 

富井さんは私達に向かって言いました。

 

介護保険サービスでは、家のなかで使える歩行器が安くレンタルできるんです。」

 

「いくらで借りれますか?」

 

「200円ほどです」

 

「1日で?」

 

「いや、1ヶ月での値段です」

 

「そんなに安く借りることが出来るんですね」

 

福祉用具の業者に連絡しておきます。歩行器を持ってきて、お試しで使ってもらいましょう」

 

「お試しで利用できるんですか?」

 

「出来ます。始めはお試しで使ってもらって、利用しなければ返すことも出来ます。気楽に借りてください。」

 

「わかりました。」

 

その後、義母の利用する介護サービスについて話し合いました。

 

「まず、介護保険サービスというのは、本人、または家族の方が決めるものです。私がこのサービスがいいから利用しなさいと強制することは出来ません。私達はサービスの提案だけさせてもらいます。もちろん、利用しなくても結構です」

 

「わかりました」

 

「それでは一番困っていることはなんですか?」

 

「それは、義母の前では言いづらいのですが、やはり排泄の面です。トイレにに行っても転んでしまうし・・・」

 

「そうですよね、不潔になってしまいますし、それにはいくつかの方法があります」

 

「どんな方法ですか」

 

「一つはPトイレを購入し、部屋に置きます。そこで排泄してもらうことで、トイレまで歩いていかなくてもいいし、転ぶ事もなくなります」

 

「そのPトイレはいくらするのですか?」

 

「安いものだと3万円くらいですね。でもこれは補助が出ます。一旦全額払ってもらって、その後9割返ってきます。だから負担額は3千円ですね」

 

「安く買えるんですね」

 

「そうですね。ただ毎日排泄物は捨てないといけません。結構大変です」

 

「他の方法は?」

 

「先程言った歩行器を借りて、トイレまで歩いていってもらう。それか廊下に手すりを工事で設置して、つかまりながらトイレまで行ってもらう」

 

「手すりの工事ですか?」

 

「これも先程と同じで補助が出ます。20万円まで9割返ってきます。そしてトイレにも工事で手すりを設置すれば、トイレで転んでしまう可能性も減ります。まあ、取り付け式のトイレの手すりをレンタルすることも出来ます。一ヶ月300円ほどです」

 

「全く知りませんでした・・・」

 

「そうですね。多分よし子さんは、トイレに行こうとしても、間に合わなかったりして失禁してしまうと思うのですが、Pトイレを部屋に置いてもいいですし、つかまるものがあれば、安定してトイレまで歩いて行くことが出来て、間に合わないことも少なくなるかもしれません」

 

「家の中で転んでしまうのも心配で・・・」

 

「そうですね、介護保険サービスを利用すれば、自宅で転倒する可能性は減ると思いますよ。」

 

「他に困ることはありますか?」

 

「義母をお風呂に入れてあげられないのです。以前お風呂に入れてあげたら、湯船から上がれなくなってしまって。あの時ちょうど主人が帰ってきたから良かったけど、いなかったらと思うとゾッとします」

 

「それは大変でしたね。では介護保健サービスを利用し、よし子さんを安全にお風呂にいれる方法を考えましょう。」

 

「いい方法があるのでしょうか?」

 

「まずは訪問介護、ヘルパーさんに来てもらって、お風呂に入れてもらいます」

 

「ヘルパーさんですか・・・。でも家に人を入れるのはあまり気が進みません」

 

「そういう方は多くいますね。もう一つはデイサービスに行ってもらって、そこでお風呂に入れてもらう事です。朝、車で迎えに来てもらって、施設でお風呂に入れてもらい、ご飯を食べて、運動や交流をして帰ります」

 

「それ、いいですよね。私も仕事をしているので、義母が昼に一人になってしまうので、転んでいたらどうしようとか、心配が多くて」

 

「そうですね。見守る人がいないので、デイサービスを利用される人も多いです」

 

私は義母に向かって言いました。

 

「お義母さん、デイサービスに行ってみない?ずっと家にこもってばかりいるから心配だったの。やっぱり時々外にでないと」

 

「うん・・・。あまり行きたくないけどね」

 

私の予想に反し、義母は下を向いてしまいました。

 

義母は社交的な方で、人と話すのが好きだったのに・・・。

 

「デイサービスにはお試し利用というのがあります。一度体験されてみたら?嫌だったら行かなくてもいいですから」

 

富井さんが義母に言いました。

 

すると義母は

 

「そうだねえ、行ってみるよ」

 

 

力無くそういいました。

 

話し合いの結果、トイレは住宅改修の工事で、壁に手すりを付けてもらい、歩行器を借りて転ばないように歩いてもらう。

 

部屋にPトイレを置いた方が、失禁する可能性は減りますが、歩行器を使えば、まだトイレに行ける。

 

そう考えれば部屋で、排泄するよりいいと思ったのです

 

お風呂はデイサービスで入れてもらい、そこで運動をしてもらって、歩く練習をすることになりました。

 

私は真っ暗の中から一筋の光が指したような感じがしました。

 

まずはお風呂の問題が解決できたこと。

 

そして、歩行器を使ってもらうことで、転ぶのが防げそうなこと。

 

排泄の面が少しでも改善されそうなこと。

 

ただ、義母の表情が冴えないことが気にかかりました。

 

余計なことをしてしまったのかな・・・

 

そんな思いもこころの奥にはあります。

 

でも今のままだったら、義母はどんどん悪くなる事は、私には感じます。

 

昔のような、明るく、話し好きな義母に戻ってほしいのです。

 

手をこまねいている時間は残り少ない

なにか始めなければ

私は判断したのです。

 

次の日、私は早めに仕事を終え、5時に家に帰ってきました。

 

すると玄関前にもう富井さんの姿がありました。

 

「すいません、お待たせいたしました」

 

私が頭を下げると

 

「いやいや、今来たばかりなので、お気遣いなく」

 

そう言われました。

 

私は頭を下げ、玄関の鍵を開け、富井さんを家の中に案内しました。

 

すると、義母の部屋から、いつものような尿臭が漂ってきました。

 

またお義母さん失禁している。

 

富井さんが来ているのに・・・。

 

部屋の中にはいると、義母はいつものように布団に横になり、ズボンは尿まみれでした。

 

こんな姿を、赤の他人に見せるなんて・・・

 

私は顔が真っ赤になるほど恥ずかしく感じました。

 

富井さんには一旦居間にいてもらい、私は義母を着替えさせました。

寝ている布団まで尿で汚れています。

 

こんな状態から、お義母さんは本当に良くなるのだろうか・・・

 

心から心配になりました。

 

必死に服だけは着替えさせ、義母の身体を支えながら居間に連れていきました。

 

もう義母の部屋に人を入れることは出来ません。

 

ピンポーン

 

玄関のチャイムがなりました。

 

「遅くなってすいません。デイサービスの細井です。」

「私も遅れて申し訳ありません、福祉用具の小林と申します」

 

ほぼ同時に2人の担当者が家に到着しました。

 

この非常事態の時に、

どうせならもっと遅れてきてよ!!

 

私は心の中で叫びましたが、こればかりは仕方がありません。

 

義母の身体を支えながら、なんとか居間の椅子に座らせた後、2人の担当の方を椅子に案内しました。

 

「すいません、こんな夜分遅くに集まっていただいて。私も仕事をしていますので、こんな時間しか空いていなくて」

 

「いや、全然問題ないです。こちらこそ時間を作ってくれて申し訳ありません、ところで、この時間で大丈夫ですか?夕食の準備の時間になりそうですが」

 

「その辺は心配ありません。主人にはコンビニの弁当で済ましてもらいますので」

 

朝、夫が出掛ける前に、今日はコンビニの弁当ねと伝えておきました。今日のことを伝えると、急に会議が入って遅くなると言い出しました。

 

たいした会議なんてないくせに。

本当に自分の母親なのに協力しようとしません。

 

後に来た2人に名刺を渡してもらった後、サービス担当者会議が始まりました。

 

まずは富井さんが作ってきたというケアプラン(居宅サービス計画書)を出席者の前に広げました。

 

「これが私の作ってきたケアプランです」

 

そう言って、全員にA4の紙を配りました。

 

「内容を読んでいきます。まず、ご本人、つまりよし子さんのお話としましては、最近身体の動きが悪い。トイレに行こうとしてもふらついてしまい、転びそうになる。なんとかしたいけど、どうしても身体が動かないので、本当に辛い。こんな感じでいいですか?」

 

富井さんは義母に向かって言いました。

 

すると、義母は

 

「そうだねえ・・・」

 

そう、力無く言いました。

 

私ははっとしました。

私はお義母さんの気持ちをあまり考えていませんでした。

 

確かにあれだけ明るく、自分のことをしっかりとやっていたお義母さんが、こんな状態になってしまった。

 

一番辛いのは介護する私ではなくて、お義母さんなのかもしれない・・・

 

「それではご家族、つまり智子さんのお話にはいります」

 

そう言われて、何を言われるのか緊張しました。

 

「先日まで自分のことは出来ていましたが、最近急に元気がなくなり、歩くのも大変になってしまいました。そのため、転倒や失禁もみられるようになってしまいました。私は平日仕事をしているので、義母がどんどん悪くなっていってしまうのではないかと心配しています。以前のように明るい義母に戻ってほしい」

 

「こんな感じでまとめましたが、よろしいですか?」

 

富井さんが私を見て言いました。

 

「そうですね、こんな感じです」

 

最後の以前のような明るい義母に戻ってほしい。

 

それが私の本当の希望です。

 

 

でも最近の状態を見て、それは難しいのではないかと諦めの気持ちもありました。

 

私達は、居間に戻り、全員座りました。

 

「それではデイサービスについて検討していきます。智子さんとの話し合いの結果、最近よし子さんはほとんど部屋の中から出ていない日々を過ごしているので、是非外に出て、他の人と接したり、歩行の練習をしてほしい。そんな希望があります」

 

「そして、自宅のお風呂に入れてあげるのも、今の状態では難しい。特に湯船から上がる時に、今の筋力では上がれなくなってしまうかもしれない。それが心配なので、デイサービスでお風呂に入れてほしいという希望があります」

 

以前、義母がお風呂から上がれなくなってしまったことを思い出しました。

 

「そうですね、今の現状が続くと、筋力が低下して、転倒が増えたり、もっと歩けなくなる可能性が高いですね」

 

デイサービス担当の細井さんが言いました。

 

「うちのデイサービスでは、個別で機能訓練もやっていますし、歩行練習や体操なども出来ます」

 

「お風呂には入れてもらえるんでしょうか?」

 

「うちのデイサービスは特浴といって、寝たきりの方でも機械で安全に入ることが出来るお風呂があります。介助する職員もいますので安心して入っていただけます」

 

「特浴ですか」

 

「今のデイサービスには、機械で身体を持ち上げ、お風呂にいれてくれる。そんなお風呂があるそうです。職員も、しっかり付いていて、見守ってくれるので、ほとんど事故などはないそうです」

 

それを聞いて安心しました。

 

私は、先日義母をお風呂に入れてあげましたが、お風呂から上げることが出来ず、パニックになってしまったことを、昨日の事のように思い出します。

 

義母をお風呂に入れるのが怖くて、それから義母は、全くお風呂に入っていません。

どうやって入れたらいいのかわからず本当に困っていました。

 

「是非デイサービスを利用させてください。義母をお風呂に入れてもらえるのは本当にありがたいです」

 

「では、デイサービスを利用することにしましょう。」

 

「それで、いつから利用しますか?」

 

細井さんが私に聞いて来ました。

 

「いつから利用できますか?」

 

逆に聞いてみると

 

「明日からでも大丈夫です」

 

私も予想しなかった返答が返ってきました。

 

「そんなに早く・・・。」

 

義母からは尿臭がするので、1日も早くお風呂に入れてあげたい、そう思いました。

 

「では、明日からお願いします。なにか必要なものはありますか」

 

「そうですね。まずは施設内で使用する靴。スリッパではだめです。かかとがある靴を用意してください。」

 

「他には・・・」

 

「あとは、歯ブラシ、コップ。お昼に飲んでいるお薬があれば持ってきてください」

 

「義母は薬は飲んでいません」

 

「そうですか。あとはお風呂に入ってもらうので、着替えをお願いします。それとバスタオル」

 

「わかりました」

 

「アレルギーとか、食べられない物はありますか?」

 

「全くありません。好き嫌い無く何でも食べます」

 

「わかりました。お迎えは何時位がいいですか?」

 

「私も仕事をしていて、9時前には家を出なくてはいけません。それより早く来てもらえますか?」

 

「わかりました。8時30分頃お迎えに上がります」

 

「それじゃあ、契約に移りますか」

 

富井さんが言うと、2人は

 

「もうこんな時間ですし、お試し利用という形で、契約は本人が気に入ってからで結構です」

 

デイサービスは、1回体験利用が出来るそうです。もちろんご飯やお風呂に入れてもらえ、昼食代のみ必要だそうです

 

そして、この会議は終わりました。

 

初めてのデイサービスの日になりました

 

私が藁をつかむような思いで地域包括支援センターの上岡さんに相談してから、あれよ、あれよという間に、話が進んでいって、私も頭が混乱している状態です。

 

本当にこれでいいのか?

 

昨日の夜、夫に明日から義母がデイサービスに行くようになりました。

 

私は夫に相談しましたが

 

「そうなんだ」

 

そう答えただけでした。

 

自分の母親じゃないの?

全く興味も示さない夫に心からため息が出ました。

 

昨日の話では、8時30分頃お迎えに来てくれるというので、いつもより早く起きて、義母のデイサービスの準備を始めました。

 

義母の部屋に行くと、案の定義母は失禁していて、服やズボン、シーツが汚れていました。

 

「お義母さん、これからデイサービスに行くから着替えましょう」

 

そう伝え、いつもパジャマでいる義母に、外用の服に着替えさせました。

 

着替えさせながら、私はため息が出るのをこらえました。

 

デイサービスに行ったから、義母は良くなるのだろうか?

 

もっと悪くなってしまったらどうしたらいいのか?

 

心配が心を覆います。

 

夫はというと、いつも出社するギリギリまで寝ている人なので、物音を立てても全く起きる様子はありません。

 

服を着替えさせ、汚れたシーツと一緒に洗濯機にいれ、洗いました。

 

ようやく準備が出来た頃、家の前に白いハイエースが停まりました。

 

中から2人の職員さんが出てきて、

 

「おはようございます。お迎えに上がりました」

 

元気にあいさつしてくれました。

 

義母は気の進まない様子でしたが、玄関を出ると、2人に向かい

 

「今日はよろしくお願いします」

 

そう言って頭を下げました。

 

つられて私もよろしくお願いしますと頭を下げます。

 

職員の1人は、義母の両手を握ると、手を引くような形でゆっくりとハイエースに向かうと

 

「ここから乗ってください」

 

そう言って義母の身体を支えながら、車の中に乗せました。

 

その動作が、本当に上手で、義母を車の中に乗せるだけで、かなり手間取っていた私は感心しました。

 

「それじゃあ、行ってきます」

 

「すいません、私も仕事があるので、義母が帰ってくる時間に、もしかしたら家は留守かもしれません。」

 

そう伝えると

 

「わかりました。合鍵をよし子さんに持たせてもらっていいですか?帰りは、居間の椅子に座ってもらうまで誘導します」

 

「わかりました。ではお願いします。」

 

私は合鍵を義母のバッグに入れました。

 

「よろしくお願いします」

 

簡単なあいさつの後、すぐに次の家に行ってしまいました。

 

その姿を見送ると、私も仕事の準備にかかりました。

 

しばらくすると、夫があくびをしながら起きてきて、

 

「あれ?朝ごはんは?」

 

私に聞いて来たので

 

「今日は忙しかったから、そこにある食パンでも焼いて食べてちょうだい」

 

半ば怒りながら言って、すぐに仕事のため家を出ました。

 

仕事中、デイサービスからなにか連絡があるのではないか、そう思い、、何度もスマホを確認しましたが、特にそれらしき着信はなく時間が過ぎていきました。

 

午後5時、ようやく仕事が終わり、急いで帰路につきました。

 

心の中はドキドキしていました。

 

義母が、帰ると同時に

 

「なんであんなところ行かせたんだ!!」

 

もしかしたらそう言ってくるかもしれません。

 

玄関の前に立ち、ドキドキする胸を押さえ、ゆっくりと玄関を開けました。

 

義母は朝、職員さんが言った通り、居間の椅子に座っていました。

 

ゆっくり近づき

 

「お義母さん、今日のデイサービスどうだった?」

 

恐る恐る聞いてみました。

 

すると義母は

 

「楽しかったよ。近所に住む節子さんや梅子さんがいて、久しぶりだねって話しかけてくれた」

 

満面の笑みで答えてくれました。

 

「お風呂にも入れてもらって、ありがたかったよ」

 

私は知りませんでしたが、近所に住み、以前から義母と交流のあった友人が、たまたま利用していたようなのです。

 

「久しぶりにあって、いろいろ話したよ。みんな元気そうでよかった」

 

義母の笑顔を見るのは、本当に久しぶりです。

 

その表情を見て、私はいても立ってもいられず、デイサービスに電話しました。

 

「今日はお世話になりました。義母も大変満足しているようすです。本当にありがとうございました」

 

私が受話器を持ちながら頭を下げると

 

「どうやら知り合いの方がいたみたいで、よし子さんも楽しく過ごしてもらったようです」

 

「是非契約させてもらって、これからも利用させてもらいたいんですが」

 

「ありがとうございます。ただまだよし子さんは介護認定が下りていませんよね」

 

「介護認定ですか・・・。確かに認定がなんなのかわかりません」

 

「要支援と要介護では値段も変わりますし、回数も違います。まずは要支援の判定と考えて、週2回から始めましょう」

 

「週2回で大丈夫です。是非利用させてください」

 

私はもう一度お礼を言って、電話を切りました。

 

「お義母さん、慣れないところで疲れたでしょう。少し休んだら?」

 

そう言って義母の部屋に連れていきました。

 

義母は先日借りた歩行器をうまく使い、昨日よりしっかり廊下を歩いていきます。私の支えが必要ないくらいに。

 

昨日は必死の思いで居間の椅子に座らせたのに・・・。

 

疲れを全く感じさせず、逆に昨日の方が、なにもしていないのに疲れていたように感じます。

 

全く違う義母の姿に、私は驚かされました。

 

後日、デイサービス、福祉用具とも契約を済ませました。

 

しかし2人とも認定結果が出ないと、料金が確定できません。そう言われました。

 

特にデイサービスは、介護度が上がるに連れ料金が上がりますと言われました。

 

確かに寝たきりで、自分ではなにも出来ない方と、普通に歩いている方が同じ料金というのは、素人の私でも少し変な気がします。

 

そんなことを考えながら生活していたある日、仕事中の私のスマホに見知らぬ番号から連絡がありました。

 

仕事の席を立ち、廊下に出て、電話に出ました。

 

「吉川様の携帯でございますでしょうか?」

 

「はい、そうですけど・・・」

 

「突然ご連絡して申し訳ありません、市の認定調査の係をしております、小泉と申します。吉田よし子さまの認定調査の日取りを決めさせていただきたくてご連絡いたしました」

 

「認定調査ですか?ちなみにいつになるのか、候補の日ってありますか?」

 

「そうですね、2日後の午前10時が一番早く訪問できます」

 

「その日は平日ですよね。私も仕事をしているので、土曜日とかだとありがたいんですけど・・・・」

 

「すいません、役所なので、土日祝はやっていないんです」

 

「そうですか・・・」

 

また有給をとらなくてはいけない。最近義母の事で、結構有給を使っているので、有給を取るのも気が引ける・・・。

 

でも夫が対応してくれるわけないし、私が対応するしかない。

 

「わかりました。2日後の10時でお願いします。なんとか合わせたいと思います」

 

「わかりました。2日後の午前10時吉田さんの家に訪問させていただきます」

 

「よろしくお願いします」

 

そう言うと電話は切れました。

 

まあ、午前中、数時間有給を取るならなんとかなりそう。

 

家に帰り、夫に2日後認定調査に立ち会ってもらいたい、一応お願いしましたが、

 

「ごめん、その日はどうしても外せない会議があるから無理だ」

 

予想通り断られました。

 

たいした会議なんか、ないくせに。

 

本当に夫は、自分の母親なのに全く協力しようとしてくれません。頭に来ます。

 

義母はというと、デイサービスに通い始めて、以前より元気になりました。

 

他の人と会うことが刺激になっているようです。

 

やはり人間、若くても、年を取っても家に引きこもっていては、元気もなくなり、脳も身体も弱ってしまうのかもしれませんね。

 

あと、大きな前進がありました。

 

義母がリハビリパンツを履いてくれるようになったのです。

 

元気になったとはいえ、まだ失禁があるので困っていましたが、デイサービスの職員さんが、リハビリパンツ履いた方がいいよ、

 

そう話してくれました。

 

私もそのように義母に話したかったのですが、排泄の問題はとてもデリケートです。

 

すると義母は、特に抵抗もなくリハビリパンツを履いてくれたのです!!!

 

リハビリパンツのお陰で、朝失禁していても、服やシーツを汚すことが少なくなりました。

 

毎日義母を着替えさせて、仕事に行っていたので、この負担か無くなることは、大きな前進でした

 

数ヵ月前、私は悩みの底にいました。

 

義母の状態が一気に悪くなり、夫と義姉に相談しました。

 

義姉には仕事を辞めて介護に専念しろ

 

夫からは介護は女がするものだ

 

そういって、身内で私の肩をを持ってくれる人はいませんでした。

 

日本人って、介護の問題にかかわら、家の中の問題を近所の人に話したりする事ってあまりないですよね。

 

私もそうでした。

 

だから追い込まれました。

 

その時、民生委員の村山さんが来てくれて、介護の相談に乗ってくれる所があるよ、そう教えてくれました。

 

私は、藁をつかむ思いで、地域包括支援センターに連絡し、相談に乗ってもらいました。

 

すぐに福祉用具とデイサービスを手配していただき、元気がなく、失禁、転倒を繰り返していた義母が、すぐに元気になってくれました。

 

ただ、介護のため、仕事を辞めざるをえない方もいるとニュースでよく見ます。

 

私は好運だったのでしょう。

 

自分達の生活費以外に、娘達に仕送りをしている身で、義母にお金をかけることは難しい状態です。

 

老人ホームの月にかかるお金は、大体20万円位かかるそうです。

 

義母の年金は月に6万円

 

とてもまかないきれません。

 

もっと義母の状態が悪くなったら、本当に私は仕事を辞めて、介護をしなければならなくなったと思います。

 

そうなったら、多分うちは金銭的に破綻していました。

 

富井さんが、認知症の初期に気付いて、対応したからよし子さんは元気になったと言ってくれました。

 

早期発見、早期対策が必要です。

 

令和の世の中、収入は減り、私のような女性も働かなくてはならない時代になりました。

 

しかし夫婦で働いても、税金や社会保険料の増大で、毎月なんとか過ごしている。

 

そんな日本になってしまいました。

 

私達の子供世代には、日本は一体どうなっているのでしょう?

 

もう少し、若い世代の事を考えていかなければならないのではないでしょうか?

 

私はこれから、義母にはデイサービスを一回減らして、週1回にしてもらおうと思います。

 

お風呂は私が休みの日に1回入れようと思います。

 

私の努力で少しでも介護保険にかかる料金を減らしたいのです。

 

義母は要介護2。

 

毎日デイサービスを利用しても、限度額を越えないと富井さんに言われました。

 

でも、デイサービスの料金は、9割が介護保険料から支払われています。

 

確かに義母には毎日デイサービスに通って、楽しい時間を過ごしたり、お風呂に入れてもらえる権利が有ります。

 

ただ、それを全員やっていたら、社会保障費が増大するのは当たり前です。

 

要介護2の方1人が、限度額一杯介護保険サービスを使うと、月に17万円ほどの私達が納めた介護保険料が必要となるのです。

 

最近の日本人は、私達はしっかり介護保険料を払っている。

 

だからどのくらいでも使いたい、その権利がある。

 

そう言う人が増えています。

 

その考えは正解です。

 

ただ、全員権利を使っていたら、間違いなく若い世代が悲惨な生活を送ることになるでしょう。

 

介護保険制度は最終的には、介護保険サービスを利用しなくなることが目標です。

 

そのためには、長男妻が介護をするという概念を捨てて、夫婦、そして親戚一体となって介護をしていく必要があります。

 

若い世代のために、どうしたら社会保障費か少しでも少なくなるか、真剣に検討しなくてはなりません。

 

         完